ブログ

  • 小林多喜二の「蟹工船」で執筆脳を考える-不安障害2

    2 小林多喜二(1903-1933)の「蟹工船」のLのストーリー

     「蟹工船」の購読脳を「悲惨な労働者の姿と当時の日本の権力」とし、共生の読みによる五感を交えたメンタルヘルスからの執筆脳を「行動のトリガーとしての意欲と不安」にする。周知のように、プロレタリアと呼ばれる労働者は、劣悪な条件で働き、しかも低賃金を余儀なくされ、過労死や失業転職も日常茶飯事であった。いくら働いても貧困で富を得るのは一部の財閥に決まっており、戦争に行って血を流して死ぬのは労働者であった。帝国主義の戦争は、労働者にとって何の利益ももたらさなかった。
     渡邉(2014)にもあるように、多喜二は、国家権力や財閥に対して次第に怒りと憎悪を覚えるようになる。1928年に行われた普通選挙で労農党の候補を応援した時、共産党への弾圧や国家維持法違反による労農組合員の逮捕を受けて、多喜二は強い憤りを覚えた。
     当然のことながら、心の病との関連を考えることができる。大塚他(2007)によると、心の病気の原因は、一つが生物学的な基盤、即ち、脳や神経伝達物質、ホルモン、遺伝子の異常などに起因する身体的なものであり、また一つが無意識の心理、即ち、生活から生まれる学習理論、個人の認知や思考パターン、人間の価値、罪、決定の自由といった問題を処理する能力、社会や文化の影響などである。前者は身体因による精神の病であり、後者は心因による心の病といえる。
     小林多喜二の場合、心因による心の病が考えられる。何か行動を起こすとき、欲求や衝動が行動の動機づけとなり、意味や目的を持った行動をしようとする意思が働く。行動を制御する意思と欲求を合わせて意欲といい、物事を積極的に行おうとする精神作用のことをいう。出版物も当局の弾圧下にあるため、「蟹工船」の購読脳から執筆脳の信号の流れを刺激に対して過敏に反応する強迫観念による不安障障の併発とする。以下では、「多喜二と積極性故の不安障害」というシナジーのメタファーを考察していく。

    (1) 購読と執筆の信号の流れ
    購読脳「悲惨な労働者の姿と当時の日本の権力」→ 執筆脳「行動のトリガーとしての意欲と不安」、故に「多喜二と不安障害」

    花村嘉英(2019)「小林多喜二の「蟹工船」の執筆脳について」より

  • 小林多喜二の「蟹工船」で執筆脳を考える-不安障害1

    1 先行研究

     文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
     執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875-1955)、魯迅(1881-1936)、森鴎外(1862-1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923-2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
     筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なおLのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
     なお、メゾのデータを束ねて何やら観察で予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

    花村嘉英(2019)「小林多喜二の「蟹工船」の執筆脳について」より

  • サピアの「言語」と魯迅の「阿Q正伝」5

    2 魯迅とカオス

    2.1 阿Q正伝

     中国近代文学の父魯迅(1881-1936)は、辛亥革命(1911)を境にして新旧の革命の時代に生きた矛盾を持つ存在であった。自己を現在、過去、未来と時間化するために、古い慣習を捨ててその時その時に覚醒を求めた。文体は従容不迫(落ち着き払って慌てないという意味)で、短編が持ち場である。欧州の文芸や思想並びに夏目漱石(1867-1916)や森鴎外(1862-1922)の作品を読破した。1904年9月に仙台医学専門学校に入学して医学を学ぶ。処女作「狂人日記」(1918)は、中国近代文学史上初めて口語調で書かれた。
     清朝末期の旧中国は、帝国主義の列強国に侵略されて、半封建的な社会になっていた。そのため、民衆の心には、「馬々虎々」(詐欺をも含む人間的ないい加減さ)という悪霊が無意識のうちに存在していた。魯迅は、支配者により利用され、中国民衆を苦しめた「馬々虎々」という病を嫌い、これと真っ向から戦った。そして、中国の現実社会を「人が人を食う社会」ととらえて、救済するには肉体よりも精神の改造が必要であるとした。
     また、儒教を強く批判した。儒教が教える「三鋼五常」(君臣、父子、夫婦の道、仁、義、礼、知、信)は、ごまかしが巧みな支配階級を成立させてしまい、中国の支配層の道具立てになっていた。時代の背景では五四運動がある。1919年5月4日、第一次世界大戦のパリ講和条約で旧ドイツ租借地の山東省の権益が日本により継承されることになったのを受けて、天安門で北京大学の学生が反日デモを繰り返した。
     この五四運動は、1921年の中国共産党成立にも影響があることから、政治的にも文化的にも影響が大きかった。魯迅は弟周作人とともに新文化運動の前線に立ち、辛亥革命の不徹底を批判しつつ、反帝国主義、反封建主義の立場を堅持した。また、魯迅は自らを阿Qに託して、阿Qや周囲の人々が銃殺される罪人を陶酔しながら喝采する精神の持ち主だと評した。(郑择魁:1978)
     文学作品は一般的に時代とか社会生活を反映しており、描かれる社会生活には、作者の個性や感性を通した独特の趣がある。作者の思いは登場人物を形象化することにより表現され、それが読者に芸術的な感動を与える。(山本2002)魯迅の生き写しである阿Qを追いながら、作品に見られる「馬々虎々」の様子を見ていきこう。特に、阿Qが五感で捕らえた情報と意識や無意識との関連づけを入出力の対象にする。
     まず、阿Qの言語特性をまとめておこう。郑择魁(1978)は、「阿Q正伝」の言語特性として、①口語化(白話文)、②正確、鮮明で生き生きとした描写、③人物の高度な個性化、④中傷、ユーモア、婉曲表現、反語を挙げている。また、毛沢東も「阿Q正伝」が辛亥革命の失敗を反映しつつ、芸術の枠組みでこの革命の歴史的教訓を伝えていると述べている。

    言語特性①
    具体例 毛沢東が「阿Q正伝」に言及したとき、通俗化と口語化を特に評価した。 
    言語特性②
    具体例 肃然(粛然とした)、赧然(恥ずかしそうな)、凛然(厳然とした)、悚然(怖がる)、欣然(喜び勇んだ)などの形容詞を用いて、民衆の表情を正確で生き生きとはっきり描いている。
    言語特性③
    具体例 系図によると、阿Qは趙太爺の息子より三代上で、未荘村の地蔵堂に住む日雇い労働者である。辮髪は茶色だが、瘡禿げを気にしている。嗜好品は酒と煙草で、自尊心が強い。阿Qには勝利法があり、心の中で思っていることを後から口に出す。とりあえず都合よくものを考える。伝家の宝刀が忘却であるため、気分屋で、賭博のときは一番声が大きい。町へ行って金を稼いで戻ってきて、未荘村の人たちにその様子を語る。しかし、結局、町で盗みのプロに手を貸すコソ泥に過ぎなかったことがわかる。
    言語特性④ 
    具体例  自覚の足りない阿Qのことを描きながら、彼を覚醒させようとする。風刺の裏に作者の情熱と希望が隠されている。男女の掟に厳格であり、元来、真面目な人間である。国家の興亡の責任は、男にあるとする。

    花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より

  • サピアの「言語」と魯迅の「阿Q正伝」4

    1.4 ユングの影響

     サピアに影響を与えたのはユング(1875-1961)です。ユングは、忘却や抑圧といった個人的無意識により意識されなくなった知覚に対して、個人を超越した普遍的な集合的無意識を提唱した。例えば、無意識の行動パターンという論旨にもあるように、サピアにとって無意識は重要な概念になっている。
     また、言語の偏流についても、言語社会が無意識のうちにある方向を選んでいるとする。つまり、これが集合的無意識の思想になり、文化活動なども社会において無意識にパターン化されていく。サピアの言語類型論は、社会や文化のメタファーのみならず、文化人類学にも影響を与えているといわれている。(サピア:1998)
     ユングの心理学は、人間の中にある心象を意識と関連づけることにより、人格全体を回復させようとする。この心象と意識の関連づけに一役買ったのが錬金術である。錬金術とは、古代エジプトに始まり、中世ヨーロッパで流行した鉄のような非金属から金や銀といった貴金属を作るための化学技術のことである。また、不老不死の万能薬を調合するための技術としても使われた。
     ユングは、こうした化学史のみならず、無意識との関係から宗教や精神心理の意味合いをも含めた現代的な錬金術の意義を再評価し、中国の錬金術書「黄金の華の秘密」の読解にも従事した。  
     無意識の状態からエピソード記憶が喚起することも知られている。過去の出来事を喚起させる刺激は、確かに無意識と類似しており、深層心理と関係がありそうである。しかし、全く無関係な刺激を通してあるエピソードが喚起されることもある。これが無意識と関連する。ユング心理学は、「秩序」-「無秩序」-「より高次の秩序」という過程で人間の心をとらえて行く。エゴ(自我)には一定の秩序があるため、そこに意識が生まれ、その周囲に無秩序状態の無意識があり、それらが統合されてより高次の秩序セルフ(自己)が生まれる。
     平たくいえば、意識とは、無意識に対して、はっきりとした自律的な心の働きがあり、状況や問題のありようなどを自ら認識していることをいう。一方、無意識とは、通常、意識されていない心の領域とか過程のことである。つまり、無意識の働きは、大脳皮質中枢の本能的・反射的過程のみに限定されず、意識のかなたにも及び、様々な象徴に支えられて未来の意識過程をも予知することができる。さらに記憶の分類でいうと、長期記憶の非陳述記憶のうちプライミング記憶に無意識が見られる。 
     次章では、魯迅が自身を託した「阿Q正伝」の主人公阿Qの言動にからむ言語情報を頼りにして、「魯迅とカオス」というシナジーのメタファーを作っていく。例えば、小説の舞台である未荘村の人たちの無意識の言動は、サピアのいう言語の偏流である。当時の中国社会に蔓延していた「馬々虎々」が集合的無意識の思想になり、社会において無意識のうちにパターン化された。それに対する阿Qの意識と無意識に絡む言動は、未荘人とは全く異なる革命をもにおわせるものである。

    花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より

  • サピアの「言語」と魯迅の「阿Q正伝」3

    1.3 母語の構造-サピア・ウォーフの仮説 

     サピアと彼の弟子ウォーフの主張は、母語の異なる話し手は相互理解が難しいとか、異なる言語間の完全な翻訳は不可能であるといった強いものではなく、もう少し弱い立場に立った言語の相対性といえる。(サピア:1998)

    サピア・ウォーフの仮説:母語の構造とは、言語から独立した思考、特に人の認知能力に対する影響が強い。

     この仮説に関する一般的な解釈は、言語が思考に少なからず影響を与えるという立場を取る。しかし、思考のどういう側面に影響を与えるのであろうか。思考の場合は、対象のとらえ方や判断の仕方に関する高次の認知能力が問題になる。
     アメリカの言語学は当初、音へのこだわりがあり、音と構文を中心に研究が進められた。その後、1970年ぐらいまで個々に扱われてきた言語理論が少しずつ融合されていく。1980年代から1990年代にかけては、コンピューターの発達もあり多くの研究分野で新しい試みが生まれた。例えば、言語学では生成文法と論理文法を組み合わせたGPSG(一般化句構造文法:Generalized Phrase Structure Grammar)(1985)やHPSG(主要部駆動句構造文法:Head Driven Phrase Structure Grammar)(1994)がそれに当たる。また、こうした理論や方法論を使用する作品分析も見られるようになってきた。(水谷:1998、花村:2005)いずれも人間の認知能力を考えるための試みである。
     知覚や記憶の場合も言語のみならず認知能力が問題になる。(例えば、第一章の表1参照。)どういう記憶が残りやすいのか、記憶ごとの結びつきはどうなのかを考えると、社会共同体ごとに違いが見えてくる。一般的に、既知の情報については推論を用いて、未知の情報についてはカテゴリー化をして我々は情報を処理している。
     未知の情報を処理する際に使用するカテゴリー化は、母語の構造により異なってくる。中国語と日本語は、色彩表現のカテゴリー化に違いがあり。例えば、日本語の青という色名の中国語を考えてみよう。空とか海の色を表す時に、中国語では藍(蓝)を用いて、蓝天(青空)や蓝色的大海(青い海)のようにいう。また、青信号、草木、水などの表現は、中国語では緑を用いて绿灯(青信号)、绿叶(青葉)、碧绿的湖(青々とした湖水)という。一方、日本語と同様に青を用いて、青马(青馬)とか青菜(青い野菜)という表現もある。(小学館中日辞典)つまり、中国語の色の表現は、日本語に比べて具体的でかつ多用といえる。
     サピア・ウォーフの仮説を現代の視点からとらえ直すには、日常の生活に密着した習慣的な思考と動的な言語や思考の概念を取り入れることが重要になる。つまり、思考の意味するところを広げて、言語行為による慣習が文化とか社会の認知にも影響を及ぼしているとするのが経験から見て適切である。

    花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より

  • サピアの「言語」と魯迅の「阿Q正伝」2

    1.2 言語構造の類型

     諸言語を分類するために、世界中の言語の文法過程を研究し続けたサピアは、言語概念を次の4つに分類した。(Ⅰ)根本概念、(Ⅱ)派生概念、(Ⅲ)具体的関係概念、(Ⅳ)純粋関係概念。(サピア:1998)

    根本型  派生概念(Ⅱ)具体的関係概念(Ⅲ)純粋関係概念(Ⅳ)手法(融合度)総合度 例
    A単純な純粋関係(中国語)(Ⅱ)―(Ⅲ)― (Ⅳ)a 手法 孤立的 総合 分析的
    B複雑な純粋関係(ポリネシア語)(Ⅱ)b, (d) (Ⅲ)―(Ⅳ)a 手法 膠着的孤立的 総合 分析的  (日本語)(Ⅱ)b (Ⅲ)b(Ⅳ)b 手法 膠着的 総合 分析的
    C単純な混合関係(フランス語)(Ⅱ)(c) (Ⅲ)c, (d)(Ⅳ)a 手法 融合的 総合 分析的(少し総合的)
    D複雑な混合関係(英語)(Ⅱ)c(Ⅲ)c, d(Ⅳ)a 手法 融合的 総合 分析的
    (ラテン語、ギリシア語)(Ⅱ)c, d(Ⅲ)c, d(Ⅳ)― 手法 融合的(象徴的) 総合 総合的
    (ドイツ語)(Ⅱ)c(Ⅲ)c, d(Ⅳ)c 手法 融合的 総合 総合的

     表1の縦の分類は、概念を言語記号に移すときに生じる問題である。一つは、語幹概念を純粋なまま保持しているかどうか、また一つは、基本的な関係概念に具体概念が混ざるかどうかにより、純粋関係言語(A:単純、B:複雑)と混合関係言語(C:単純、D:複雑)を区別している。
     一方、横の分類で(Ⅱ)の派生概念は、語幹要素に非語幹要素を接辞し、語幹要素に特定の意義を添加する。例えば、farmerのerは行為者を表す接尾辞のため、farmerという語は特定の動詞の習慣的な主語になる。
    (Ⅲ)の具体的関係概念も語幹要素に非語幹要素を接辞することで表現されるが、派生概念より隔たりが大きい(例、booksのsやdepthのth)。但し、他の類と混同があるため、避けられる。
    (Ⅳ)の純粋関係概念は、命題中の具体的な要素を相互に関係づけて、明確な統語形式を与える(例、数、性、格の照応)。表1の横の区分は、言語に表現されている概念を分類するためにある。
     これに融合度と総合度が加わる。融合度は、孤立、膠着、融合、象徴を特徴とする。例えば、日本語のような膠着型言語が並置の手法で接辞添加をするのに対して、ラテン語のような融合型言語は、定義上非膠着言語になる。
     また、総合度は、分析的と総合的に分けられる。分析的言語とは、複数の概念を結合して単一語にすることがない言語(例、中国語)または節約しながらそうする言語である(例、英語、仏語)。また、ポリネシア語は語順が中国語よりも揺れていて、複雑な派生に向かう傾向がある。
     総合的言語とは、概念が密で語がより豊富な内容を持っており、かつ具体的な意味の射程を適度な範囲に保とうとする言語である(例、ラテン語)。ラテン語とギリシア語は、基本的に屈折型の言語であり、融合的な手法を取る。この融合には、外的な音声的意味と内的な心理的意味がある。
     日本語は、語幹概念を純粋なまま保持しながら、さらに不可分の要素(例、動詞や形容詞の活用形)を集める言語とする(Bタイプ)。命題を組み立てるときは、具体的な要素を相互に関係づける(例、数、格助詞)。(Ⅰ)から(Ⅳ)までの言語概念は、中国語と対応させている。
     ドイツ語は、基本的な関係概念に具体概念を混ぜながら、不可分の要素(例、動詞、形容詞、名詞の活用形)を集める言語とする(Dタイプ)。命題を組み立てるときは、やはり具体的な要素を相互に関係づける(例、数、性、格の照応)。(Ⅰ)から(Ⅳ)までの言語概念は、英語と対応させている。
     表1の中でa、b、c、dは、補助タイプである。それぞれ順に、孤立的、膠着的、融合的、象徴的になる。また数学的には、次のような公式が成り立つ。膠着c (goodness) = a + b、規則的融合(強) c (books) = a + (b – x) + x 、不規則的融合(弱) c (depth) =(a – x) + (b – y) + (x + y) 、象徴的融合c (geese) =(a – x)+ x。

    花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より

  • サピアの「言語」と魯迅の「阿Q正伝」1

    【要旨】

     魯迅の「阿Q正伝」(1921)を分析しながら、シナジーのメタファーを作成していく。前半は中国語と日本語から見えてくる思考様式の違いをサピアの「言語」に基づいて考える。魯迅は、学生時代に日本に留学しており、彼自身も中日の思考様式の違いについて思うところがあった。そして、当時の中国人が患っていた「馬々虎々」という精神的な病を嫌って、「阿Q正伝」の主人公阿Qに自分を重ねてそれを強く人民に訴えた。
     こうした魯迅の作家人生からシナジーのメタファーを作るために、後半は作品のテーマである「馬々虎々」を記憶のモデルとリンクさせながら、「阿Q正伝」に見られるカオスの世界を説明していく。

    1 言語と思考

    1.1 サピアの特徴と魅力

     20世紀を代表するアメリカの言語学者エドワード・サピア の特徴と魅力について彼の著書「言語」を軸にしてまとめいく。サピアは、言語の普遍性から個別言語の特徴へと話を進め、人類学も視野に入れるために、人種や言語、文化や文学についても自論を述べている。
     この論文は、サピアの言語研究を中日の観点からまとめていきます。サピアの言語論に日本語の分析はないものの、個別言語に話が及ぶと展開が見られるためである。
     サピアの言語研究の本質は、6つの文法過程にある。それは、語順、複合語(造語)、接辞添加(接頭辞、接尾辞、接中辞)、語幹要素または文法要素の内部変容、重複及びアクセントの相違です。中日両言語で類似している性質は、複合語と重複の過程である。一方、異なる性質は、語順、接辞の添加、文法要素の内部変容そしてアクセントである。
     複合語(造語)は中日両語で使用されおり、その過程で二つ以上の語幹要素が結合して、単一語が形成される。これは、要素間の関係を暗示するとともに、語順の過程とも関連する。中国語は語順が厳格なため、複合語を発達させる傾向にある。日本語よりも中国語の方がその数は圧倒的に多い。例えば、語連続の「人権」とか慣習化された並置の「農夫」などがそれである。サピア(1998)によると、これらの複合語の意味は、構成要素の語源的な意味とは異なるものになる。
     重複については、日本語の「思い思い」のように、語の全体または一部を繰り返す畳語が考えられる。朝鮮語、中国語、アイヌ語には見られる特徴だが、印欧語やウラル語族、アルタイ諸語には見られない。
     次に、中日両言語の異なる性質について見てみよう。言語には語順が自由なものと固定のものとがある。しかし、大半はその中間に位置する。前者の代表としてはラテン語が、後者の代表としては中国語があげられる。日本語は、語順がかなり自由な言語である。ドイツ語やオランダ語などのゲルマン系の言語も、類型論的には部分的に語順が自由な言語といわれている。中国語の語順はSVOであり、日本語やドイツ語はSOVになる。
     文法関係を表す際、中国語は語順を頼りにし、日本語や韓国語は助詞(てにをは)を用いる。これが中国語は孤立語で、日本語が膠着語と呼ばれる理由である。中国語の語順は確かに英語に近いが、中国語には語尾変化や活用がない。日本語のようなSOV型は、世界の言語の約半分、英語や中国語などのSVO型は35%、ポリネシア語などのVSO型は10%余りを占る。 
     こうした語順の違いは、言語的な発想にも影響を及ぼす。山本(2002)によると、中国語は述語が主語のすぐ後に来るため、話し手や書き手の意図が肯定なのか否定なのかは早い段階で明らかになる。一方、日本語は述語が最後に来るため、話し手や書き手の意図が肯定なのか否定なのかは最後まで行かないとわからない。サピアは、こうした人の思考様式こそが言語習慣を規定するとし、弟子のウォーフと共に立てた仮説は、今でも語り継がれている。
     また、中日の翻訳を考えると、語順のみならず推論も重要なポイントになる。発想は、一般的に発見とか発明に問われるものだが、文章を書く際にも語順とか段落の作り方または話の流れに言語上の小さな発想があると考えられる。発想はまた文系と理系とで異なるし、文理で組み立て方やまとめ方も違う。つまり、こうした違いを調節するためにシナジー論がある。
     サピア(1998)よると、接辞の添加には、接頭辞、接尾辞そして接中辞がある。その中で接尾辞の添加が最も普通である。中国語は、語幹要素として文法的に独立した要素を利用しない特別な言語である。しかし、日本語の接辞「的」は、中国語の「的」からの影響であろうし、孩子や杯子の「子」も中国語の接辞といえる。
    文法要素の内部変容とは、語の内部の母音または子音を変化させる過程である。日本語の場合は、動詞や形容詞の活用にそれが見られる。しかし、中国語には活用がないため、英語の母音変化(例えば、sing、sang、sung、song)に類似した例は見当たらない。
     アクセントは、中国語も日本語もピッチアクセントである。例えば、中国語のfa[一声](発送する)とfa[四声](頭髪)のようなアクセントの交替は、声調の差異が必ずしも動詞と名詞を区別するわけではない。

    花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より

  • 莫言の「蛙」でシナジーのメタファーを考える14

    5 まとめ

     莫源の「蛙」の執筆時の脳の活動を考察するために、購読脳の「計画出産と現実」と執筆脳の「正義と平等」からなるLのイメージを作り、データベース上でカラム同士の交わりに関し実験を試みた。長編小説のため、多くの場面で実験を試みる必要がある。興味のある方は、試してもらいたい。双方をまとめたシナジーのメタファーは、「莫源と正義」にする。
     最後に、小狮子の妊娠が代理出産によるものとした理由を説明する。小狮子が勤め先の蛙の養殖場の裏で営まれる代理妊娠センターで、万足から取ったオタマジャクシを陈眉に代理で出産してもらうように手配し、生まれた子供の親権を巡って双方で裁判沙汰にまでなるからである。判決では小狮子の子供になるが、時期が来たら万足も本当のことを話すとしている。
     中国の計画出産への取り組みと結婚した女性の子供を望む気持ちが交錯するストーリーは、資本主義の法律による形式的な平等から社会主義による社会や経済の平等という実践を経て、多くの登場人物により巧みに構成されている。

    参考文献

    片野善夫 ほすぴ162号、163号、164号、165号、166号 日本成人病予防協会 2018
    神島裕子 正義とは何か 中公新書 2018
    花村嘉英 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
    花村嘉英 日语教育计划书-面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
    花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方-トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日語教学研究会上海分会論文集 2018
    花村嘉英 川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日語教学研究会上海分会論文集 2019
    花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日語教学研究会上海分会論文集 2019    
    花村嘉英 社会学の観点からマクロの文学を考察する-危機管理者としての作家について 中国日語教学研究会上海分会論文集 2020
    花村嘉英 計算文学入門(改訂版)-シナジーのメタファーの原点を探る 
    ブイツーソリューション 2022 
    莫言 蛙(吉田富夫訳)浙江文芸出版社 2017
    魯迅 祝福(竹内好訳)魯迅简节文集 民族出版社 2002

  • 莫言の「蛙」でシナジーのメタファーを考える13

    表5 万足が愚昧を語る場面

    表2Aと同文。情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
    表2Bと同文。情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 2
    表2Cと同文。情報の認知1 2、情報の認知2 1、情報の認知3 2
    表2Dと同文。情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
    表2Eと同文。情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1

    A 情報の認知1は2グループ化、情報の認知2は2新情報、情報の認知3は1計画→問題解決である。
    B 情報の認知1は2グループ化、情報の認知2は2新情報、情報の認知3は2問題未解決→推論である。
    C 情報の認知1は2グループ化、情報の認知2は1旧情報、情報の認知3は2問題未解決→推論である。
    D 情報の認知1は2グループ化、情報の認知2は2新情報、情報の認知3は1計画→問題解決である。
    E 情報の認知1は2グループ化、情報の認知2は2新情報、情報の認知3は1計画→問題解決である。

    結果

     この場面は、万足と小狮子夫妻の代理出産に関する話であり、確かに小狮子も姑姑も些か精神的に正常ではない。しかし、罪を犯した人間は、何とか己を慰めようとする。(魯迅「祝福」)虚妄をばらしたりせず、希望を与え、罪意識から解放させ、罪悪感無き人のようにしてあげても罰はあたらない。そこで、万足は、後妻の小狮子の言うままになり、愚昧であっても二人が信じることを信じようと努力するため、情報の認知3は、計画→問題解決となる。故に、「正義と平等」という推論が続いている。

    花村嘉英(2020)「莫言の『蛙』でシナジーのメタファーを考える」より

  • 莫言の「蛙」でシナジーのメタファーを考える12

    【連想分析2-2】

    情報の認知1(感覚情報)
     
     感覚器官からの情報に注目することから、対象の捉え方が問題になる。また、記憶に基づく感情は、扁桃体と関係しているため、条件反射で無意識に素振りに出てしまう。このプロセルのカラムの特徴は、①ベースとプロファイル、②グループ化、③条件反射である。
     
    情報の認知2(記憶と学習)
     
     外部からの情報を既存の知識構造へ組み込む。この新しい知識はスキーマと呼ばれ、既存の情報と共通する特徴を持っている。未知の情報は、経験を通した学習となり、カテゴリー化される。このプロセルのカラムの特徴は、①旧情報、②新情報である。

    情報の認知3(計画、問題解決、推論)
     
     受け取った情報は、計画を立てるプロセスでも役に立つ。その際、目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。しかし、獲得した情報が完全でない場合は、推論が必要になる。このプロセルのカラムの特徴は、①計画→問題解決、②問題未解決→推論である。

    花村嘉英(2020)「莫言の『蛙』でシナジーのメタファーを考える」より