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  • アンドレ・ジイドの「田園交響楽」で執筆脳を考える2

    2 「田園交響楽」の病跡学

     白痴の子供(une idiote)である。口もきかず人の話もわからず、ほとんど動かない。15歳(une quinzaine d’annees)ぐらい 。めくらの娘は、顔立ちは美しく整っているも意思のない塊で完全に無表情である。牧師が握っていた手を離すと異様な呻き声を出す。(Je fus moi-meme tout decontenance par les bizarres gemissements que commenca de pousser la pauvre infirme sitot que ma main abandonna la sienne.11)人間らしからぬ鳴き声は、子犬のようである。
     牧師夫妻には、4人の子供がいる。妻アメリーは、連れてきためくらの娘をどうするのか問いただす。神の思し召しゆえに無一文のめくらの娘をほっとくわけにはいかない。
     ジェルトリュードの顔は、完全に無表情である(son inexpressivite absolue de son visage.19)。誰かの声が聞こえたり、近づいたりすると、顔つきが硬くなる。無表情でなくなるのは、敵意を示すとき(pour marquer l’hostilite.19)だけで獣のように呻いたり唸ったりした。(Elle commencait a geindre, a grogneromme un animal.19)給仕した皿にも動物のようにガツガツ飛びついた。
     ある日から彼女の表情が世紀を帯びてきた。(Tout à coup ses traits s’animèrent.26)天使のような表情(l’expression angélique)である。彼女の額の上に神に捧げるような接吻をした。盲人にも教育はある。点字のアルファベットを覚える。ジェルトリュードは、色彩の問題で色と明るさを混同した。また、音楽会に行く機会があった。(Je pu lui faire entendre un concert.33)音と色彩に関係があるとわかるや否やある種の恍惚から疑惑の色が消えた。
     散歩に出かけるといつもそうだが、この時も、彼女は、私たちが立ち止まっている場所の景色を説明してくれるように頼んだ。(Elle me demannda, comme à chaque promenade, de lui décrire l’endroit où nous nous arrêtions. 62)
     マルタン医師がジェルトリュードの目を検眼鏡で調べた。手術をすれば見えるようになるという。(Le docteur Martins a longuement examiné les yeus de Fertrude à l’ophtalmoscope. C’est que Gertrude serait opérable.74)ジェルトリュードは、ローザンヌの病院に入院した。20日たたねば退院できない。極度の不安を抱えながら、彼女の帰りを待っている。(Gertrude est entrée hier à la clinique de Lausanne, d’où elle ne doit sortir que dans vingt jours. 91)

    花村嘉英(2024)「アンドレ・ジイドの『田園交響楽』で執筆脳を考える」より

  • アンドレ・ジイドの「田園交響楽」で執筆脳を考える1

    1 はじめに

     パリ大学法学部教授の父とノルマンディー地方出身の信仰一途の母との間にうまれたアンドレ・ジイド(1869-1951)は、10歳で父を亡くしたことからプロテスタントの母の下で清教徒教育を受け道徳的で宗教的な作家になっていく。
     1887年アルザス学院の修辞学級に入学する。そこで散文作品を計画し青春の思いを表現しようとした。詩法も小説の作法も心得ていないジイドは、鏡に向かうように内心の日記を綴ろうとした。後に象徴派の詩人マラルメの文学サロン火曜会の門下生になる。しかし、象徴主義に接近するも同時に脱出も模索していた。旅立ちである。
     1893年10月旧友ポール・ロランスとともにアルジェリアに向かった。世紀末で草臥れたパリとは異なる生命の息吹がジイドの興奮させた。ジイドは、アフリカで全ての道徳が暫定的ということを学んだ。異教徒の世界に飛び込めば、既存の秩序は、自己の防衛手段にすぎない。また、母の死後は従姉のマドレーヌと結婚する。
     「田園交響楽」を執筆していたころは、世の中が末期症状にあり、道徳による拘束が重要ではなく、それを突破することの方が文学の福音となった。プロテスタントからカトリックへの改心を迫られる。しかし、何かが引き留める。カトリックの掟に馴染めない。
     牧師とその息子との対立のドラマに妻との不仲がモチーフである。不仲の理由は、ジイドとマルク・アレグレの同性愛である。
     「贋金つかい」は、ジイドの精巧極まるメカニズムがもたらした小説であり、現代小説、とりわけヌーヴォーロマンにまで影響を及ぼしている。あらゆる価値とモラルを相殺するための複雑なメカニズムである。
     晩年のジイドは、世界中にファシズムが吹き荒れる中で左翼に接近した。無力なブルジョワ社会への反駁である。その後、現代の良心と呼ばれるサルトルも共産主義に接近する。しかし、ソビエトのプロレタリアは、ジイドの理想とはかけ離れたいた。第二次世界大戦では、北アフリカに移動し、1945年の解放とともにパリに戻った。1947年、オックスフォード大学から名誉博士号が送られ、ジイドの人生のまとめとなる。

    花村嘉英(2024)「アンドレ・ジイドの『田園交響楽』で執筆脳を考える」より

  • 三島由紀夫の「潮騒」で執筆脳を考える8

    4 まとめ

     三島由紀夫の執筆時の脳の活動を調べるために、まず受容と共生からなるLのストーリーを文献により組み立てた。次に、「潮騒」のLのストーリーをデータベース化し、最後に特定したところを実験で確認した。そのため、テキスト共生によるシナジーのメタファーについては、一応の研究成果が得られている。
     この種の実験をおよそ100人の作家で試みている。その際、日本人と外国人60人対40人、男女比4対1、ノーベル賞作家30人を目安に対照言語が独日であることから非英語の比較を意識してできるだけ日本語以外で英語が突出しないように心掛けている。 

    参考文献

    花村嘉英 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
    花村嘉英 日语教育计划书-面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
    花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方-トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日語教学研究会上海分会論文集 2018  
    花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日語教学研究会上海分会論文集 2019
    花村嘉英 社会学の観点からマクロの文学を考察する-危機管理者としての作家について 中国日語教学研究会上海分会論文集 2020
    花村嘉英 社会学の観点からマクロの文学を考察する-自然や文化の観察者としての作家について 2020年 
    三島由紀夫 潮騒(解説 佐伯彰一)新潮文庫 2014

    花村嘉英(2020)「三島由紀夫の「潮騒」の執筆脳について」より

  • 三島由紀夫の「潮騒」で執筆脳を考える7

    表3 情報の認知
    初江が鮑取り競争で勝利する

    A 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 2
    B 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 2
    C 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
    D 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
    E 表2と同じ。 情報の認知1 1、情報の認知2 2、情報の認知3 1

    A:情報の認知1は②グループ化、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は②問題未解決から推論へである。
    B:情報の認知1は②グループ化、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は②問題未解決から推論へである。
    C:情報の認知1は②グループ化、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は①計画から問題解決へである。
    D:情報の認知1は②グループ化、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は①計画から問題解決へである。  
    E:情報の認知1は①計画から問題解決へ、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は①計画から問題解決へである。

    結果 
     
     三島由紀夫は、この場面で初江に鮑取り競争で勝利させ、息子の嫁えらびは懸命だというイメージを作っている。歌島の政治がこうして平和に行われることを説明しているため、購読脳の「純潔と平和」から「本歌取りと挑戦」という執筆脳の組を引き出すことができる。 

    花村嘉英(2020)「三島由紀夫の「潮騒」の執筆脳について」より

  • 三島由紀夫の「潮騒」で執筆脳を考える6

    【連想分析2】

    情報の認知1(感覚情報) 感覚器官からの情報に注目することから、対象の捉え方が問題になる。このプロセルのカラムの特徴は、①ベースとプロファイル、②グループ化、③その他の条件である。
     
    情報の認知2(記憶と学習)このプロセスは、経験を通した学習になる。このプロセルのカラムの特徴は、①旧情報、②新情報である。

    情報の認知3(計画、問題解決、推論) このプロセルのカラムの特徴は、①計画から問題解決へ、②問題未解決から推論へである。

    花村嘉英(2020)「三島由紀夫の「潮騒」の執筆脳について」より

  • 三島由紀夫の「潮騒」で執筆脳を考える5

    分析例

    1 初江が鮑取り競争で勝利する場面。    
    2 この小論では、「潮騒」の執筆脳を「本歌取りと挑戦」と考えているため、意味3の思考の流れ、本歌取りに注目する。   
    3 意味1①視覚②聴覚③味覚④嗅覚⑤触覚 、意味2 ①喜②怒③哀④楽、意味3本歌取り①あり②なし、意味4振舞い ①直示②隠喩③記事なし。  
    4 人工知能 ①本歌取り、②挑戦    
     
    テキスト共生の公式     
    ステップ1:意味1、2、3、4を合わせて解析の組「純潔と平和」を作る。
    ステップ2:ギリシアの古典を本歌としてその日本化及び現代化に挑戦しているため、「本歌取りと挑戦」という組を作り、解析の組と合わせる。

    A:①視覚+③哀+②なし+①直示という解析の組を、①本歌取り+②挑戦という組と合わせる。
    B:⑤触覚+③哀+②なし+①直示という解析の組を、①本歌取り+②挑戦という組と合わせる。
    C:①視覚+①喜+②なし+①直示という解析の組を、①本歌取り+②挑戦という組と合わせる。
    D:⑤触覚+④楽+②なし+①直示という解析の組を、①本歌取り+②挑戦という組と合わせる。
    E:①視覚+①喜+②なし+①直示という解析の組を、①本歌取り+②挑戦という組と合わせる。

    結果  表2については、テキスト共生の公式が適用される。

    花村嘉英(2020)「三島由紀夫の「潮騒」の執筆脳について」より

  • 三島由紀夫の「潮騒」で執筆脳を考える4

    【連想分析1】

    表2 受容と共生のイメージ合わせ
    初江が鮑取り競争で勝利する

    A 一時間がすぎると、舟は東からかえって来た。競争のためにいつもの十倍も疲れ果てた八人は、裸の上半身をもたせ合って黙って思い思いの方角に目をやっている。濡れて乱れた髪は、隣人の神と縺れ合って、見分けがつかない。意味1 1、意味2 3、意味3 2、意味4 1、人工知能 2

    B 肌寒さに抱き合っている二人もある。乳房は鳥肌立ち、あまり日光が澄明なために、日灼けのしたそれらの裸体も、蒼褪めた溺死者の群れのように見えた。これを迎える磯の賑わいは、音もなくしずしずと進んでくる舟に、似つかわしくなかった。意味1 5、意味2 3、意味3 2、意味4 1、人工知能 2

    C 舟を下りると、八人はすぐ焚火のまわりの砂に崩折れて、口もきかなかった。一人一人からうけとった桶を、行商がしらべて、大声で鮑の数を言った。「ニ十疋、初江さんが一番」「十八疋、久保さんが二番」一番と二番、初江と新治の母親は疲れて充血した目を見交わした。島でもっとも老連な海女がよその土地の海女に仕込まれた練達な少女に敗れたのである。意味1 1、意味2 1、意味3 2、意味4 1、人工知能 2

    D 初江は黙って立って、商品をもらいに、岩かげへ行った。そしてもって来たのは、中年向の茶いろのハンドバッグである。少女は新治の母親の手にそれを押し付けた。母親の頬は歓びに血の気がさした。「どうして、わたに・・・」「お父さんがいつか、おばさんにすまんこと言うたから、あやまらんならんといつも思うとった」「えらい娘っ子や」と行商が叫んだ。意味1 5、意味2 4、意味3 2、意味4 1、人工知能 2

    E みんなが口々にほめそやし、厚意をうけるように母親にすすめたので、彼女は茶いろのハンドバッグを丁寧に紙に包み、裸の小脇に抱えて、何の屈託もなく、「おおきに」と礼を言った。母親の率直な心は、少女の献上をまっすぐにうけとった。少女は微笑した。息子の嫁えらびは懸命だった、と母親は思った。--島の政治はいつもこうして行われるのだ。意味1 1、意味2 1、意味3 2、意味4 1、人工知能 2

    花村嘉英(2020)「三島由紀夫の「潮騒」の執筆脳について」より

  • 三島由紀夫の「潮騒」で執筆脳を考える3

    3 データベースの作成・分析

     データベースの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。データベースの数字は、登場人物を動かしながら考えている。
     こうしたデータベースを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容はそれぞれの言語ごとに構文と意味の解析をし、何かの組を作ればよい。しかし、共生は作家の知的財産に基づいた脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。

    【データベースの作成】

    表1 「潮騒」のデータベースのカラム

    文法1 名詞の格 三島由紀夫の助詞の使い方を考える。
    文法2 態   能動、受動、使役。
    文法3 時制、相 現在、過去、未来、進行形、完了形。
    文法4 様相 可能、推量、義務、必然。
    意味1 五感 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
    意味2 喜怒哀楽 情動との接点。瞬時の思い。
    意味3 思考の流れ 異化ありなし
    意味4 振舞い ジェスチャー、身振り。直示と隠喩を考える。
    医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。購読脳「純潔と平和」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
    情報の認知1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。また、記憶に基づく感情は、扁桃体と関係しているため、条件反射で無意識に素振りに出てしまう。
    情報の認知2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。この新しい知識はスキーマと呼ばれ、既存の情報と共通する特徴を持っている。その際、未知の情報については、学習につながるためカテゴリー化する。記憶の型として、短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述)を考える。
    情報の認知3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
    人工知能 被害と怒り エキスパートシステム 被害は、損害を被ること、危害を受けることであり、怒りは、怒ること、腹立ち、立腹である。

    花村嘉英(2020)「三島由紀夫の「潮騒」の執筆脳について」より

  • 三島由紀夫の「潮騒」で執筆脳を考える2

    2 「潮騒」のLのストーリー

     三島由紀夫(1925-1970)の「潮騒」(1954)は、三島が観察から創作した小説である。刊行される前年に三重県伊勢湾にある神島を二度訪問し、1951年から1952年にかけてかねてから関心を持っていた欧州へ北米南米経由で旅行している。大蔵省退官後本格的に創作活動に入ったため、この旅行は取材も兼ねていた。何としても生きるという思いと明るい古典主義への傾倒という二律相反する二つの意識が共存した三島にとって、幸せな一時であった。
     佐伯(2014)によると、「潮騒」は、三島のギリシアへの憧れと旅行の所産、29歳という青春物を書く年ごろという条件が重ねって作られた作品である。古代ギリシアの物語から本歌取りの手法を試み、古典の素材や筋立てから自分の世界を描き、当時の日本に移し換えた。古典を意識しそれに挑戦するという試みは、三島によって意図的に仕組まれたものである。
     海女たちが行商人の計らいで鮑取りの競争をし、勝利した初江は、茶色のハンドバッグを新治の母に渡し、母は素直に初江の謙譲を受け取る。初江と新治の付き合いも結婚に至るまで純潔を守り抜く。息子の嫁選びは懸命であったと新治の母が思うとともに歌島の政治の舵取りが平和に続いていく。
     そこで、「潮騒」の購読脳は、「純潔と平和」にし、執筆脳は「本歌取りと挑戦」にする。「潮騒」のシナジーのメタファーは、「三島由紀夫と二律相反の共存」である。 
     
    花村嘉英(2020)「三島由紀夫の「潮騒」の執筆脳について」より

  • 三島由紀夫の「潮騒」で執筆脳を考える1

    1 先行研究

     文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
     執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875-1955)、魯迅(1881-1936)、森鴎外(1862-1922)の私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923-2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。 
     筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なおLのストーリーについては、人文と理系が交差するため、   
    機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。 
     なお、メゾのデータを束ねて何やら観察で予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

    花村嘉英(2020)「三島由紀夫の「潮騒」の執筆脳について」より