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  • クロード・シモンのLe Tramway(路面電車)で執筆脳を考える3

     シモンなりに、彼の書き方で自らを現代性の中に組み込むことで革命を目指した。その際の頭の使いようは、閉じた曲線を辿り同一点を繰り返し通過する動体の運動を伴った回転といえる。思考の線は、大きな主題の間を自在に逸脱し、小さな主題に立ち換える。
     「路面電車」の舞台は、マヨルカ王国の首都ペルピニャンである。クロード少年は、通学で路面電車を利用していた。書き出しは、路面電車の運転台の様子(Rester dans la cabine au lieu d’aller s’asseoir à l’intérieur sur les banquettes, semblait être une sirte de privilege non seulement pour mon esprit d’enfant)やそこから見える風景について延々と連なるシーケンスである。一人語りでは決してなく、設計図に基づいた饒舌体といえる。車窓の風景には病院や養老院が登場し(se rendait à l’hôspital ou l’hospice, ou maison de retraite)、80歳を過ぎて肺炎による高熱で病床で喘ぐ(Toujours, je suppose, par l’efffet de cet état fiévreux qui me donnait l’impression d’être enfermé)老いたシモンもそこにいる。何年もの年数の経過が対立カテゴリーの共存や移動とともに時を重ね、螺旋状の回転により連なる長い文章がシモンのダイナミズムである。
     文章の間を隙間なく埋めるがごとく、括弧書きの箇所が非常に多い。シモンが執筆中にふと思うことなのであろうか。様々な記憶を巡せるうちに浮かぶこともできるだけ詳述するように心掛けている。これもまたヌーヴォー・ロマンの作家たちに共通する特徴にしたい。
     そこで「路面電車」の購読脳は「車窓から浮かぶ客観的な事実と時空の交錯」、執筆脳は「回転とシーケンス」、そしてシナジーのメタファーは「クロード・シモンと記憶の時間」にする。

    花村嘉英(2022)「クロード・シモンのLe Tramway(路面電車)で執筆脳を考える」より

  • クロード・シモンのLe Tramway(路面電車)で執筆脳を考える2

    2 Lのストーリー

     クロード・シモン(1913-2005)の「路面電車」は、晩年に書かれた小説である。アフリカ南部の島国マダガスカルで生まれ、フランスの古都でワインの産地ペルピニャンで育つ。第一次世界大戦から第二次世界大戦の終わりまでは、四半世紀に渡り世界のどこかで戦いがあり、経済も混乱していた。シモンは、イギリスに留学し勉強するも竜騎兵として招集され、戦争に巻き込まれる。その後、脱走し、レジスタンス活動に参加する。
     1945年、処女作「ペテン師」を発表し、執筆活動に従事する。前衛的な小説群といわれる、ル・モンド誌の造語ヌーヴォー・ロマンの旗手として注目される。平岡(2003)によると、ヌーヴォー・ロマンは、小説を改革するための技巧上の工夫のみならず対象世界に立ち向かう態度の新たな浄化であり、対象世界を言語化以前の状態で言語化するという試みに挑戦する論理の模索である。一方、あまりに技巧に走り、小説を息苦しくした結果、小説の息の根を止めてしまうこともある。しかし、早く読める小説だけを小説と呼ぶぐらいならば、 ヌーヴォー・ロマンは、小説と呼ばれなくてもよい。
     また、ヌーヴォー・ロマンの作家たちは、ただ目に写る耳に聞こえるままの対象の姿や音を写生しながら、事物を繊細に描写する。例えば、路面電車(la mortice du tramway mesurait environ sept mètres de long, les patries avant ou arrière par lesquelles on y avait accès et se trouvait, soit dans un sens soit dans l’autre, la cabine du wattman était faite de tôles d’acier et peinte en jaune, la partie médiance de bois se faisant face était, à l’extérieu, recouverte de lattes verticales de bois verni, marron. P86)意識や心理を含めた対象世界を凝視し、細密化することから物語が分泌される。それからお決まりで唐突な場面転換が来る。
     例えば、シモンの場合、拡散的断章構成の実験がつきものである。シニフィアンとシニフィエの分離による逸脱で、志が画家であったこともあり、場面を彩る色彩の逸脱も画家の発想に近い。表象と意味で見ると、病人には大人g扱うことばの意味は理解できないとある。(un malade est tenu pour un mineur, sinon même un enfant, aux capacités mentales diminuées au point qu’il n’est plus capable de prendre des decisions ni même saisir le sens des mots employees par les adultes…p111)

    花村嘉英(2022)「クロード・シモンのLe Tramway(路面電車)で執筆脳を考える」より

  • クロード・シモンのLe Tramway(路面電車)で執筆脳を考える1

    1 はじめに

     文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
     執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875-1955)、魯迅(1881-1936)、森鴎外(1862-1922)に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923-2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。 
     筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。言語の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なおLのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
     なお、メゾのデータを束ねて何やら予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

    花村嘉英(2022)「クロード・シモンのLe Tramway(路面電車)で執筆脳を考える」より

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