2 「城の崎にて」の思考によるLのストーリー 動と静、反抗と和解
志賀直哉(1883-1971)は、中学の頃、渡良瀬川鉱毒事件について父と対立したこともあり、32歳のとき武者小路実篤の従妹康と結婚し、別の一家を作った。1916年12月夏目漱石が没し、直哉は師から開放される。高田(1984)によると、精神的に落ち着いてきた直哉は、作家として動から静へ、葛藤や反抗から和解へと成長していく。
1917年志賀直哉は、「城の崎にて」を書く。内容は、怪我の養生で東京から城の崎温泉へ一人で出かけたときの話である。
「城の崎にて」以前の直哉の目は、清澄さそのものであった。これは直哉の固有の資質である。さらに、「城の崎にて」では、死と直面した後のため、心が落ち着いていて非常にいい気持ちでいた。そこで、「城の崎にて」の購読脳を「心の静止と凝視」にする。
通常、五感情報の80%以上が視覚情報といわれる。片野(2018)によると、目で見たものは、物体から跳ね返ってくる光を受け取り物体の色や形、大きさ、立体感などを認識している。光は、角膜から眼球に入り、その量を調節する虹彩を経てさらに内側にある水晶体というレンズで屈折され、カメラのフィルムに当たる網膜で像になる。水晶体と網膜の間には、ゼリー状で透明な硝子体がある。網膜には光を感じ取る視細胞があり、光の刺激を電気信号に変える。さらに網膜から伸びた視神経の束がその信号を脳へ伝達する。
一方、ボーっとして何も考えていないときは、人の顔も周囲の様子も覚えていない。捉えた情報を脳でよく理解していないからである。
花村嘉英(2020)「志賀直哉の「城の崎にて」の執筆脳について」より
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