鴎外の脳の活動は感情
動物全般の感情は、人間を含めて動物が生得的に持っている本能のことをいう情動と人間特有の感情といえる尊敬の念に分けられる。前者は動物実験を通して客観的に捉えることができ、後者は個人の主観レベルで処理することができる。時間的な見方をすれば、情動は瞬間的な思いになり、尊敬の念は継続的な思いになる。周知の通り、感情には喜怒哀楽のようにどちらにも入るものがある。(二木1999)
この小論文ではこれらをカラムに採用し「山椒大夫」のDBの作成法を検討していく。文学の研究を少しでも客観的にするためである。
情動の起因には諸説が考えられる。そのうちの一つに内的要因(創発)と外的要因(誘発)による体の反応があげられる。鴎外の歴史小説にも内的要因と外的要因による思考があり、創発が主の作品と誘発が主の作品に分類することができる。前者には「阿部一族」、「佐橋甚五郎」、後者には「安井夫人」、「山椒大夫」が入る。こうした思考の流れは行動とも関連する。
『山椒大夫』
この作品は、遠く離れた父親に会いに行く旅の途中で母親と別れるも、姉弟が力を合わせて両親と世話になった人たちに献身の気持ちを伝えるという内容である。これを外から内への思考とすると、ここでの脳の活動は誘発になる。
① 安寿と厨子王は、人買いに買われて由良の山椒大夫の所で奴婢になり潮汲みと柴刈りを強いられる。健気な中にも父母への思いは募るばかり。ある日、初めて二人一緒に柴刈りに出かけた。姉は予め弟に二人では駄目だから、一人で筑紫の父の所へ行って、佐渡へ母を迎えに行くようにと話した。結局、厨子王は一人で都を目指すことになる。そして、安寿は入水する。
② 僧形になった厨子王は都に上り、東山の清水寺に泊まる。開運の時がきた。関白師実に事の経緯を話したところ、筑紫に左遷した平正氏の嫡子という身元が判明し、厨子王は師実に客として迎えられる。師実が還俗した厨子王に冠を加えると、欲求を満たしてくれるものに接近する情動が厨子王に生まれる。
③ 厨子王は元服後正道と名のった。父の安否を筑紫に尋ねたところ、死亡していることがわかり、正道は身がやつれるほど嘆いた。体の生理状態と心の状態は、密接な関係にある。悲しい時には、涙があふれて全身が緊張し、子供のようにしゃくりあげて泣く。正道もその類である。ここでは身内との惜別による悔しい気持から、哀れな情動が生まれている。
④ その後、正道は丹後の国守になる。都へ上る際に手を貸してくれた曇猛律師は総都にし、安寿を懇ろに弔い、入水した岬に尼寺を建てた。そして、任国のために仕事をしてから、佐渡へ母を探しに行く。母と姉への献身である。これは、正道個人の尊敬の念である。
⑤ 佐渡に着いて大きな百姓家の生垣を覗くと、刈り取った粟の穂が干してあり、雀が啄むのを女が逐っている。正道は心が引かれると同時に身が震えた。女は盲である。耳を立てると、安寿と厨子王のことが恋しいと歌っている。探していた母がそこにいる。正道は臓腑が煮えくり返るも雄たけびを堪えた。縛られた縄が解かれたように垣根の中に駆け込んで、守本尊を額に押し当て母の前にうつ伏した。雀ではないとわかると、母の両方の眼は涙で潤い、その時目が開いた。そして、二人はぴたりと抱き合った。
ここでも自分の欲求を満たしてくれるものに接近行動を示す情動が母と正道に現れる。情動にはこのように人を行動に駆り立てる性質がある。つまり、情動を単なる心的状態ではなく、脳の機能として捉えることにより、「鴎外は感情」というシナジーのメタファーが作られる。
花村嘉英著「日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで」より