さらに日本語には敬語表現に呼応がある。敬語の形態は、尊敬、謙譲そして丁寧の三種類である。尊敬語や謙譲語は、人物や事柄に関する素材の敬語であり、丁寧語は、聞き手に対する対人の敬語である。対人の敬語は、絶対とか相対とは関係がない。絶対敬語とは場面に関係なく、単純に対象が上司の場合に使用する縦の表現である。また日本のマスコミが皇室関係者を対象にするときに用いる皇室敬語にも絶対敬語がある。一般的に敬語は、絶対敬語から親近関係のような横の相対敬語に向かって偏流するという。
偏流とは、米国の言語学者サピアが使用した用語である。言語の偏流とは、言語社会が無意識のうちにある方向を選んでいることをいう。つまり、言語の偏流が集合的な無意識の思想になり、文化活動なども社会において無意識にパターン化されていく。(花村嘉英「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品‐魯迅をシナジーで読む」華東理工大学 2015)
将来的な敬語表現について見ると、システムの簡略化が望ましい。例えば、中国語の場合は、敬語が主に人称代名詞で表現される。古代の中国語には確かに敬語のシステムが存在した。しかし、現在では簡体字に見られるようにことばの簡略化が進んでおり、ことばのシステムも簡単になっている。また、中国人民は同胞という意識から互いに呼び捨てでことばを交わす。簡略化の賜物であろう。
日本語の場合でも、自分を指すことばは、社会人ならば「わたし」か「わたくし」とし、相手を指すことばならば「あなた」、敬称は「さん」や「様」、対話は「ですます」、動作は「れる、お・・になる」を使用するぐらいでよい。
上記のようなCONTEXT属性は、日本語の運用論上の呼応について分析する際にも重要な役割を果たす。例えば、日本語の場合、名詞の敬称(例、様、殿、総理、首相、先生)は、指示対象に敬意を与える印となる。((23)b) 即ち、日本語でも敬意が主語の指示対象にある時には、主文の述語が敬語になる。((23)b、(23)c)
花村嘉英(2018)「ことばの呼応とその運用を比較する-英語、ドイツ語、日本語、中国語を中心に」より