3 危機管理者としての作家の役割
通常、人は、リスクに結びつくことをしないように心掛ける。しかし、より合理的であろうとすると、そこにはリスクが生まれる。(バウマン/メイ 2016)つまり、グローバル化の合理性を深追いすると、そこには落とし穴が待っている。一方にローカライズがある。リスクを想定し原因を回避できるように局所化を工夫する。リスクの原因を誤ったところに置かないように気を付けるためである。
パイロットとか救急医療または株式市場の現場で働くエキスパートと同様に、作家もリスク回避をテーマにして作品を書いている。(花村 2017) 例えば、トーマス・マンは、20世紀の前半にドイツの発展が止まることを危惧して小説や論文を書き、魯迅は、作家として馬虎という精神的な病から中国人民を救済するために小説を書いている。また、森鴎外は、明治天皇や乃木大将が亡くなってから、後世に普遍性を残すために歴史小説を書いた。
ナディン・ゴーディマも南アフリカの白人社会の崩壊を目指す反アパルトヘイト運動に白人がどのように関与できるのかを自問し、世の中の流れに逆流する自国の現状に危機感を抱き、何らかの形で革命に関わりたいという意欲を持っていた。花村(2018b)では、こうした作家の脳の活動が南アフリカの将来を見据えたリスク回避といえるため、特に、「意欲と適応能力」に焦点を当てて「ブルジョア世界の終わりに」の執筆脳を考察した。
さらに前頭葉の働きからゴーディマとの性差を交えて、井上靖の「わが母の記」に描かれたリスク回避についても触れている。(花村 2018a) 実母の認知症の症状が段階的に進み、それに伴う世話で疲労した家族の崩壊さながらの様子がテーマであり、高齢化社会をむかえた現代社会では、日本でも中国でも皆が思い当たる実例である。
花村嘉英(2019)「社会学の観点からマクロの文学を考察するー危機管理者としての作家について」より