この実験は、芥川の作品の中で例外的に面白おかしく書かれた「河童」(1927)の中でどのように扱われているだろうか。そこから購読脳の組を考えていく。内容は、昭和初期の日本に関する風刺画であり、ある精神病院の患者であり狂人がその病院の院長や誰にも語る話である。
その狂人の振舞いは、直ちに顔に出る。驚いたときは、急に顔をのけ反らせ、話し終えた時の顔色は、拳骨を振り回し、「出て行け、この悪党めが、貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、図々しい、自惚れきった、残酷な、虫のいい動物なんだろう。出て行け、この悪党めが!」とでも言わんばかりである。
一般論でいうと、文学作品は、作者の努力のみならず、編集や評論も含めて読者の力とともに成長していく。マクロを狙う分析では、拡大する際に、方向性が問われる。そのため、受容の購読脳のみならず、読者として共生の執筆脳を強く意識して話を進める。まず、「河童」の購読脳を「風刺と精神病」にする。
ここで1902年から1909年まで日本に留学していた中国の魯迅(1881-1936)を思い出す。1918年37歳のときに発表した「狂人日記」にも兄が突然周囲に向けて怒鳴る場面がある。いけないといえば言えばいいと狂人がいう。しかし、兄も妹を食べ、結局は人食いになってしまう。芥川は、間接的に魯迅の話を知っていたかもしれない。
花村嘉英(2020)「芥川龍之介の『河童』の執筆脳について」より