五木寛之の「冬のひまわり」で執筆脳を考える2


2 「冬のひまわり」のLのストーリー 

 五木寛之(1932-)は、現代を解くキーワードとして仏教を想定している。強い自己規制の中で生きる人間を描くには、仏教的な人間を取り込む必要性がある。「冬のひまわり」(1985)の中でも日常の違和を積極的に肯定している。 
 影山(1994)によると、寺の門徒が宿泊した宿屋の娘遠野麻子、彼女と青春を共にしたカーデザイナー森谷透そして福井の吉崎にある浄土真宗の檀家の総代を勤めた家柄の三男で小学校の先生をしている大野良介が織り成す抑制された二つの愛の形が描かれている。
 麻子の母は、保険の外交員をしていた。彼女が短大生になると不調を訴えるようになる。退職し自宅から病院に通うもすっかり老け込んでしまう。
 森谷と一度だけ結ばれた麻子は、体調の変化に気づき産婦人科を訪れ、堕胎の手術を受ける。しかし、責任は良助が被る。他に好きな人がいるのに、麻子のことを一生想い続けられるような人物が好きだという良助は、どこか矛盾がある人間である。麻子の母親は、相変わらず慢性の糖尿病と高血圧を患っている。 
 矛盾している良助は、人を愛することと共に生活することは別の問題だという。純粋に愛し合っている者同士が長いこと一緒に生活することはない。そうでないものを麻子と作るために結婚したとする良助に日常への違和を五木寛之は積極的に肯定している。そこで購読脳は、「違和と自己規制」にする。
また、五木寛之は、50歳を過ぎたころから仏教に関する発言が多くなる。苦行の解決の道を教えてくれる仏教 的人間をイメージした「冬のひまわり」の執筆脳は、「規制と問題解決」にする。そこでこの作品のシナジーのメタファーは、「五木寛之と規制」である。 

花村嘉英(2020)「五木寛之の『冬のひまわり』の執筆脳について」より


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