3 日本語の呼応の特徴
上述の呼応に関する日本語を考えてみよう。日本語にも英語に見られる先行詞と代名詞の呼応の現象がある((2)と(4)を参照すること)。しかし、英語にある人称と数に関する主語と動詞の呼応はない。
(24)Mary is in love with John. They are childhood friends.
(25)メアリーはジョンと恋愛中である。彼らは幼なじみである。
(24)の英語には三人称複数に動詞との呼応が見られ、(25)の日本語は複数形の主語と述語の呼応が特別な問題にはならない。またeveryやallに見られる限定詞と名詞の呼応((26)から(29)まで)は、日本語では名詞の複数形に出てきて、数の指定は内包で処理される((30)と(31))。
(26)Every airline needs an HQ.
(27)どの航空会社にも本社は必要です。
(28)All animals have an instinct to survive.
(29)すべての動物には生存本能がある。
(30)No admission free is required.
(31)入場料は無料です。
なお、日本語の名詞は、ドイツ語やフランス語のような文法性ではなく、英語と同様に自然性である。
属性形容詞と名詞との呼応自体は、日本語にも見られる。しかし、ドイツ語のような名詞の格変化はなく、単複の数を指定するだけである。ドイツ語の格に相応する文法要素は、助詞の「てにをは」である。日本語の述語形容詞も呼応を指定しない。
(32)a長い論文(い形容詞) bきれいな印刷(な形容詞)
(33)おいしいケーキを(格助詞)作る。
さらに日本語には敬語表現に呼応がある。敬語の形態は、尊敬、謙譲そして丁寧の三種類である。尊敬語や謙譲語は、人物や事柄に関する素材の敬語であり、丁寧語は、聞き手に対する対人の敬語である。対人の敬語は、絶対とか相対とは関係がない。絶対敬語とは場面に関係なく、単純に対象が上司の場合に使用する縦の表現である。また日本のマスコミが皇室関係者を対象にするときに用いる皇室敬語にも絶対敬語がある。一般的に敬語は、絶対敬語から親近関係のような横の相対敬語に向かって偏流するという。
偏流とは、米国の言語学者サピアが使用した用語である。言語の偏流とは、言語社会が無意識のうちにある方向を選んでいることをいう。つまり、言語の偏流が集合的な無意識の思想になり、文化活動なども社会において無意識にパターン化されていく。(花村2015)
花村嘉英(2018)「ことばの呼応とその機能を比較する-英語、ドイツ語、日本語、中国語を中心に」より