2 ドイツ語の呼応
ドイツ語の名詞の活用形は、指標の呼応(index agreement)とは異なる格の呼応(case concord)と呼ばれる現象を示す。これは、名詞の格の値と名詞に依存する限定詞や形容詞の値との構造上の共有を求める言語特有の制約から生まれる。ここでは、NP内の格の呼応と指標の呼応を語彙レベルで指定された同一性の結果とする。
名詞と名詞が選択する限定詞間の格の値の共有は、指標の共有から独立している。INDEXがCONTENTの属性になるためである。格の呼応と数や性の呼応は、SPEC素性を経由するN’の姉妹関係に付いている限定詞が付与する。
ドイツ語の属性形容詞は、数と性について指定された指標を持っている。形容詞が修飾する名詞の指標と構造上の共有が見られるためである。例えば、SYN-SEM/LOCAL/CATが示される。これは伝統的に形容詞の弱変化として扱われる。形容詞の弱変化は、NPの限定詞が強となるように制約を課す。付加語は値がsynsemの対象となる主要部素性MODを担うことになる。主要部の付加語の構造で付加語の娘のMOD値は、主要部の娘のSYNSEM値と構造上の共有が見られる。この仮定と語彙エントリーに基づいて、kluges Mädchenの主要部の付加語の構造上のカテゴリーが得られる。
(21)≪HEADnom[CASE②nomVacc], SUBCAT〈DetP[strong,CASE②]sing,neut〉≫
ドイツ語の場合、名詞と形容詞の組み合わせには3つの効果がある。1)名詞句が下位範疇化する限定詞は強でなければならない。2)名詞句の格は主格または目的格に制限される。3)名詞の指標と形容詞の指標は同一になる。但し、名詞の指標上の制約は2つの事態(state of affaires)を含む。一つは形容詞に由来し、また一つは名詞に由来する。kluge Mädchenは、強い限定詞(dasまたはdieses)の中性の主格または目的格とのみ結合して、次のようなNPを形成する。
(22)
a das kluge Mädchen
b dieses kurze Mädchen
c *kluge Mädchen
d *ein kluge Mädchen
一方、kurzeのような中性の主格または目的格の形容詞の強変化は、NPの限定詞が空かまたは弱(例、ein)であることを要求する。そのために、ein kurzes TelegrammというNPが妥当となる。HPSGの分析は、いわゆるドイツ語の混合変化に関する一般論とは少し異なる予想を立てている。一般的に限定詞が弱のときは、形容詞は強でなければならず、限定詞が強のときは、形容詞が弱でなければならない。
つまり、弱変化の限定詞が二つ以上の形容詞に従うと、伝統的な説明では最初の形容詞だけが強変化して他は弱変化と見なされる。しかし、伝統的な説明よりも広くとって、この小論では多層で隣接する形容詞のMOD値は呼応すると見なしていく。修飾構造にあるN’のSYNSEM値が構造を共有するためである。例えば、ein kleines kurzes Telegramm がそれにあたる。属性形容詞の語彙項目は、テキスト内で定式化されるため、限定詞を下位範疇化する名詞句のみを修飾する。
ドイツ語の述語形容詞は、呼応について特記することはない。いずれの主語のNPとも互換性を示す。
(23)
a der Junge ist klein.
b die Frau ist klein.
c Das Mädchen ist klein.
述語形容詞と属性形容詞を区別すると、述語構造には呼応が見られないとする標準的な説明にも対応できる。しかし、この説明は正しくない。語形変化がないため属性形容詞よりも情報は少ないが、述語形容詞には指標の呼応があり、全く制約のない名詞のクラスと互換性が取れると考えた方がよい。
ドイツ語には複数形による丁寧体がある。ドイツ語の語形変化の規則を表現するために、定型動詞のtrinken、fahrenそしてsindの単数語彙素を例にしてみよう。[NUM plur]と指定される指標は、一般的に集合体につながるが、丁寧体のSieは例外である。
Sieの指標は三人称複数であり、集合体も非集合体もアンカーとして要求するために、コンテキスト上の制約に欠ける。そこで発話のコンテキストの中で話し手が聞き手に尊敬の念を抱く場合の運用論上の条件を想定することにする(後述参照)。
花村嘉英(2018)「ことばの呼応とその機能を比較する-英語、ドイツ語、日本語、中国語を中心に」より