幸田文の「父」の執筆脳について-臨終2


2 Lの分析

 第一回の文化勲章受章者幸田露伴(1867-1947)を父に持つ作家幸田文(1904-1990)の文学の方法は、誠実であることにある。塩谷(1994)によると、誠実が文学の方法になったのは、幸田文にとってそれが生活から引き出せるただ一つの知恵だからである。誠実に愛し、誠実を持って仕え、誠実に反抗した人間である。それが父露伴から受け継いだ遺産でもある。そこで、購読脳を「誠実と心の記録」にする。但し、記録が文学たるためには、視覚的要素と香気が必要である。無論、そのためには正確な表現力がものをいう。 
 「父」の死を見送る記録は、父の死の宣告を受ける瞬間が山場である。7月末に臨終を迎え、その葬式で喪主を務め、強い父の命は、最後まで作者を放すことがなかった。しかし、別れ自体は清々しく、深い思慕の情には力強さなどなかった。
 焼香の際も写真の父が昇っていくようで、露伴の俳句「獅子の児の親を仰げば霞かな」を引いて、美醜愛憎ある中で恩を確かめている。
 誠実が習性であることは、常に便利なわけではない。才能を包み隠すところまで行くと、誠実が強すぎるためである。嘘のない真心ぐらいでよい。フィクションが文学になるには、誠実さが必要不可欠になる。そのため、執筆脳は、「偽りない記録と誠意」にする。この執筆脳を購読脳の「誠実と心の記録」とマージした場合のシナジーのメタファーは、「幸田文と誠実さ」である。 

花村嘉英(2020)「幸田文の『父』の執筆脳について」より


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