中国から日本に伝わったことばや文化について6


【火薬と羅針盤】
 印刷術は、火薬や羅針盤と並ぶルネサンス(14世紀前半)三大発明の一つでる。写本から活版印刷へ技術が進歩したため、文芸や自然科学の知識も瞬く間に一般大衆に普及した。現代のIT革命に匹敵するほどである。ドイツのマインツにあるグーテンベルクの博物館では、彼の活版印刷術が紹介されている。1455年に旧約・新約聖書(ラテン語版)が印刷された。聖書のドイツ語訳は、マルチン・ルター(1483-1546)によるものである。宗教改革(1525-1545)のためにヘブライ語及び古典ギリシア語から翻訳された。
 火薬も羅針盤も中国での発明が西洋より早かった。火薬は、南宋の時代(1127-1279)に発明され、元寇の時(文永の役(1274)、弘安の役(1284))に日本の武士を驚かせた。元(1271-1368)は、日本との通交を求めるも失敗に終わった。火薬は、イスラム世界を経由してヨーロッパへも伝わり、欧州でも火薬を使う兵器が開発され戦力は増大した。
 羅針盤のおかげで航海術が発達し、明の時代(1363-1644)には永楽帝(1360-1424)が鄭和(1371-1434)を中心に南洋、例えば、東南アジア、インド、アラビア半島、アフリカへ朝貢を求めて1405年に船団を送った。朝貢とは、中国を中心とする貿易形態である。中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、これに対して皇帝側が恩寵を与えるという形式で成立する。鄭和の船は、70年後に訪れる大航海時代の5倍から10倍の大きさがあったといわれている。

花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より

シナジーのメタファー2


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