中国から日本に伝わったことばや文化について5


3.西洋との比較-ルネサンスの三大発明

 中国の技術は、西側の諸国へも伝わった。751年の夏、カザフスタンのタラス川を挟んで唐帝国とイスラム帝国が激突した。唐軍は敗れたが、捕虜の中に紙すき職人がいて、サンマルカンドで紙を作った。当時、西側ではカヤツリグサの茎の部分から作られる古代エジプトで使用された文字筆記媒体パピルス紙とか羊皮紙しかなかったため、中国製の紙は瞬く間に広がった。
【印刷術】
 印刷術については、木版も活版も中国で開発された。7世紀から8世紀初頭が始まりといわれていて、印刷文化が日本に及んだのは、南宋の時代(1127-1279)、鎌倉以降のことでる。中国における活版印刷は、粘土による活字から木の活字を経て、明代(1363-1644)の銅活字に至る。銅活字は、豊臣秀吉の時代に日本に伝わった。朝鮮出兵の際、文禄の役(1592)で京城を陥れた日本軍は、王宮内にあった多くの銅活字や印刷道具及び活字本を持ち帰った。明朝体とは、明代の中国で使用された活字体のことである。現在使用されている鉛活字は、ドイツのグーテンベルク(1398-1468)が1450年頃に発明した。

花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より

シナジーのメタファー2


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