【漢字の公用】
仏教色が強く国分寺が全国に造られ、古事記、日本書紀、万葉集が編纂された。安部仲麻呂(698-770)は、奈良時代の遣唐留学生で科挙の試験に合格し、西安の図書館館長にまでなった。渡来人やその子孫たちは、公務の資料を作成するために漢字を使用した。
天智天皇(626-672)が漢詩文を奨励したため、漢詩の習得が官人の教養の証になった。懐風藻(751)が現存している唯一の漢詩集である。論語の言葉が多く引用されており、中国の儒教の思想が伝えられた。中国の伝統文化は、日本文学に深く影響している。
平安時代(794-1192)になると、桓武天皇(737-806)が奈良から京都に都を遷した。当時は唐帝国の影響が強く、遣唐使による人の交流も盛んになった。例えば、空海(774-835)は、西安の青竜寺で修行し、帰国後真言宗の開祖になった。書道の大家としても有名である。周知のように、漢字は男、平仮名は女が使用するものとなり、貴族の間では偏つぎという偏をつなぐ遊びが流行した。
なお、平安中期になると、平仮名、カタカナが発明され、源氏物語、枕草子など物語や日記が数多く書かれた。平安末期には武士の台頭により源平の合戦を代表とする軍記物が登場する。
花村嘉英(2018)「中国から日本に伝わったことばや文化について」より