魯迅とカオス(阿Q正伝)18


(41)
中文
可是永远记得那狼眼睛。又凶又怯,闪闪的像两颗鬼火,似乎远远的来穿透了他的皮肉。他又看见从来没有见过的更可怕的眼睛了,不但已经咀嚼了他的话,并且还要咀嚼他皮肉以外的东西,永是不近不远的跟他走。
和文
狼の目のことはいつまでも覚えている。凶悪でキラキラとして鬼火のように、遠くからでも彼の肉体を刺し通す。これまでに見たこともない恐ろしい目(記憶)。彼の言葉だけでなく、肉体以外のものも噛み砕こうとする。近づきも離れもせずに、阿Qについてくる。(同期/非同期)
(42)
中文
这些眼睛们似乎连成一气,已经在那里咬他的灵魂。他早就两眼发黑,耳杂里嗡的一声,觉得全身仿佛微尘似的进散了。
和文
それらの目が一つになった(記憶)かと思うと、彼の魂に噛みついていた。阿Qは目の前が真っ暗になり、耳がガーンとなって、全身が飛び散っていくような気がした。(五感)
(43)
中文
至于舆论,在未庄是无异议,自然都说阿Q坏,被枪毙便是他的坏的证据。而城里的舆论却不佳。游了那么久的街,竞没有唱一句戏。
和文
世論について未荘では異議がなく、当然誰もが阿Qが悪いと言った。銃殺されたのは、彼が悪い証拠である。町の世論もよくなかった。長いこと街を引き回されたのに、阿Qは芝居の歌も歌えなかった。

 (3)、(4)、(8)は、阿Qの精神的な勝利法を意味する妙計の説明になっている。通常、人に殴られて壁にぶつかれば、誰でもよく思うわけがない。阿Qの神経細胞が入力情報を伝えるため、出力が精神的な勝利の意味になれば、彼の勝利法はカオスの意味に近づいていく。また、(21)の内容は、魯迅が中国の社会を救済するために、肉体よりも精神の改造を求めたことを裏づけている。

花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より

シナジーのメタファー2


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