遠藤(1974)によると、様相論理の言語とそのモデル構造の分析の中に「無と創造」という組み合せがある。バルカンの原理と呼ばれる様相文である。モデル構造MQ <K、R、D>(Kは空でない可能世界の集合、RはK上の反射関係、Dは個物の領域)に対して「語Qであるものが存在しうるなら、Qでありうるものがすでに存在している」という意味のバルカン文 ((∀x) NPx → N(∀x) Px)(ここでNは必然でPは存在者)であり、何もない無からの創造を否定する言明である。
川端のいう無は、愛と組むと止揚するため、すでに存在しており、将来もしかりである。こう考えると、愛と組むと止揚する無が存在するなら、存在する無は、バルカンの原理と調節ができ、「無と創造」の組み合わせは可能である。 しかし、それが理系でいうところの何に当たるのかという問題がある。そこで問題解決のために、川端の創造を定理や公式からなる理想の型とし、登場人物は、人工的で畸形に加工できるものとする。
原・小林(2004)によると、顔の表情は、人の人格や人の心理状態または生理状態を表すという。人格は、人相学に基づく人物評価に用いられ、心理と生理は、相手の気持ちや体の具合を理解するための顔の情報として使われる。川端の創造も、上述したように、理想の型を置いて人工的で畸形も含めた人格の形成を試みる。なお、人工感情は、警察のモンタージュ写真の作成などに応用例が見られる。
花村嘉英 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より