1 文学と作家
高行健は、文学の理由として一人の作家の声について説明する。作家も人民の代弁者とか正義の化身として説けば、微弱ではない。個人の声は、真実に至る。彼の言い分は、文学も個人の声であり、国家の頌歌や民族の手本となり、伝搬手段を用いて勢いが増し、天地を覆いつくすも、すぐに本性を喪失し権力や利益の代用品に変わる。
この一世紀、文学は、不幸に見舞われた。政治の権力が深まり、作家は甚だしく迫害を受けた。文学は、自身の存在理由を擁護し政治の道具にならないようにする。そして、個人の感受を出て、文学が政治を離脱するとか政治に口出しし、関連する所謂傾向性や作家の政治傾向など、これに類する論戦も20世紀ならではの文学の病気といえる。こうした相関が起す伝統の革新や保守革命は、文学の問題を進歩に変え、反動の争いを起し、皆の意識形態を怪しくする。意識形態が権力と結合し、現実の勢力に変わり、文学は、個人が共に災いを被るようにする。
花村嘉英(2022)「高行健の『朋友』の執筆脳について」より