森鴎外の執筆時の脳の活動を感情として、「森鴎外と感情」というシナジーのメタファーを考えたことがある。感情の下に情動と畏敬があり、情動の下に創発と誘発がある。「山椒大夫」と「佐橋甚五郎」の違いは、前者が誘発の強い情動(外から内)で、後者が創発の強い情動(内から外)というところにある。感情と対になる概念は、行動である。
遠く離れた父親に会いに行く旅の途中で母親と別れるも、姉弟が力を合わせて両親と世話になった人たちに献身の気持ちを伝えるという内容である。これを外から内への思考とすると、ここでの脳の活動は誘発になる。
ここでは、両親との別れが原因で結果を献身の振舞いにする。消息は、原因結果の一例になる。一方、情動はどうであろうか。隠れた因子として交絡因子になりうるであろうか。
1 安寿と厨子王は、人買いに買われて由良の山椒大夫の所で奴婢になり潮汲みと柴刈りを強いられる。健気な中にも父母への思いは募るばかり。ある日、初めて二人一緒に柴刈りに出かけた。姉は予め弟に二人では駄目だから、一人で筑紫の父の所へ行って、佐渡へ母を迎えに行くようにと話した。結局、厨子王は一人で都を目指すことになる。僧形になった厨子王は都に上り、東山の清水寺に泊まる。開運の時がきた。関白師実に事の経緯を話したところ、筑紫に左遷した平正氏の嫡子という身元が判明し、厨子王は師実に客として迎えられる。師実が還俗した厨子王に冠を加えると、欲求を満たしてくれるものに接近する情動が厨子王に生まれるため、1は成立する。
2 厨子王は元服後正道と名のった。父の安否を筑紫に尋ねたところ、死亡していることがわかり、正道は身がやつれるほど嘆いた。体の生理状態と心の状態は、密接な関係にある。悲しい時には、涙があふれて全身が緊張し、子供のようにしゃくりあげて泣く。正道もその類である。ここでは身内との惜別による悔しい気持から、哀れな情動が生まれているため、2は成立である。
3 その後、正道は丹後の国守になる。都へ上る際に手を貸してくれた曇猛律師は総都にし、安寿を懇ろに弔い、入水した岬に尼寺を建てた。そして、任国のために仕事をしてから、佐渡へ母を探しに行く。母と姉への献身である。これは、正道個人の尊敬の念である。従って、情動は中間因子になる。3は成立である。1から3の全てが成立するため、情動は、交絡因子になりえる。
花村嘉英(2021)「森鴎外の『山椒大夫』で交絡を考える」より
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