心理学統計の検定を用いて中島敦の「山月記」を考える4

2.3 「山月記」の登場人物にみる記憶範囲の違い

 「山月記」は、己を失くし妻子を苦しめた李徴が後悔しながらも最後は旧友袁參に素直な気持ちを伝えるというストーリーである。ここでは、この小論の研究テーマ、記憶範囲の違いについて、作成したデータベースを基に考察していく。

解答 記憶範囲の違い
表1 具体度

 一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下に飛び下りて、闇の中へ駈け出した。彼は二度と戻って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後、李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。李徴1 袁參0

 翌年、監察御史、陳郡の袁參という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未暗いうちに出発しようとしたところ、駅吏がいうことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれた方が宜しいでしょうと。李徴0 袁參1

 袁參は、しかし、供廻りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁參に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。李徴2 袁參1

 その声に袁參は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁參は、李徴と同年に進士の台に登り、友人の少なかった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁參の性格が、峻峭な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。李徴2 袁參2

 叢の中からは暫く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微な声が時々洩るばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。李徴2 袁參2

花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて中島敦の『山月記』を考える」より

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