ジャン・ポール・サルトルの「嘔吐」で病跡学を考える1


1 はじめに

 病跡学については、作家を一人の人間として見たときにいえる病気の症状や小説の中に描かれているメディカル情報が考察の対象になる。サルトルの場合、斜視で眼が不自由であった。1973年には左目の視力が健常時の半分もなくなり、読み書きができなくなる。ボケの症状が現れ、一日のうち3時間ぐらいしか正常でいられなくなった。半盲状態になると、エジプト人の秘書に本を読んでもらい、対話して過ごした。 
また、白井(2006)によると、サルトルは、30年以上にも渡り神経症を患っていたため、自身の実存を正当化するために文学を絶対視していた。しかし、飢餓状態に比べれば、芸術など一文の値打ちもないとする。
 原題のLa nauéeは、嘔吐物を意味せず、吐きたい気持ちを表す。そこで小説の中からメンタルな症状を覗いて見たい。「嘔吐」の中には、パリでの生活から見えてくる吐きたくなるような場面がいくつも現れる。吐き気をもようす場面を中心に病気の跡を辿り、人間サルトルの症状と合わせて病跡学の考察とする。
 政治への関心は、少なからず文学活動に影響を与えた。文学の政治参加は、小説により労働者階級を開放させることである。
 「嘔吐」執筆時は、自身を単独者と見なしており、社会の絆をよそに自分には社会におうものなどなく、社会の方も自身に手を出すことはないと考えていた。「嘔吐」ではブルジョワを下劣と批判したことが単独者としての文学からの帰結になった。つまり、サルトルが人生とは何かを真面目で真剣に追求した結果、小説「嘔吐」が生まれた。 

花村嘉英(2022)「ジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』で病跡学を考える」より

シナジーのメタファー3


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