HPSGから見たことばの呼応とその運用について-英語、ドイツ語、日本語、中国語を中心に14


 自分束縛に関する融合案は、直示の観点をコード化するテキスト間の指標により提供される。例えば、先行詞には、指示対象が個体となるNPを当てる。そして、文や事例を含むNPが直示の視点を表示できるように調節すると、場所を表す表現の解釈にも役に立つ。再帰代名詞が二度現われる場合には、通常一つの句の中で同一指示にならなければならない。

(48) 百合子は[兄が自分①を自分②の友達の嫌がらせから守りきれなかった]ことを知っている。

 つまり、(28)の自分①と自分②は同一指示として百合子を指示することになる。しかし、文脈によっては自分①が百合子で自分②は兄となるケースも考えられる。そこで挿入された「の」の修飾句の視点が変わる場合には、上述の制約は適用されないとする。

(49) 百合子は[自分①がそのときすでに[浩司が自分②をかばっているの]を知っていた]とは認めたがらなかった。

(49)の場合、自分①は百合子を指示するが、自分②は百合子でも浩司でも指示対象として成立する。

 中国語の場合は、以下の場合に、照応束縛のAGRへの移動がうまく説明できない(Pollard/Sag 1994, 274)。

(50) 陈先生的骄傲害了自己。
(51) 我骂他对自己没有好处。
(52) 陈先生的爸爸的钱被自己的朋友偷走了。

 ここでC統御される主語が有生にならない場合に、先行詞が有生の主語(または所有者)に移動することがある。この説明は、優先権に限って反映されるようで、談話の中の運用論の要因により無効になることがある。

(53) 陈先生的爸爸的钱被自己的朋友偷走了。妈妈的书也被自己的朋友偷走了。

 ここで自分は陈先生も先行詞として取ることができる。しかし、次の例では、自分が陈先生とのみ同一指示になる。

(54) 陈先生的爸爸的钱和妈妈的书都被自己朋友偷走了。

 但し、これは、談話表示という視点から見た場合の説明である。

花村嘉英(2018)「ことばの呼応とその運用を比較する-英語、ドイツ語、日本語、中国語を中心に」より 

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