クレジオの“Pawana”(クジラの失楽園)で執筆脳を考える2


2 Lのストーリー

 J.M.G.ル・クレシオ(1940-)の「パワナ」は、語りの効果を大切にしている。(菅野1995)クレシオの文体によるものでもあり、老人の独白に細工が加えられている。19世紀のアメリカの捕鯨産業全盛の時代につながるように、港の騒音について語り(je l’ai appris sur les quais de Nantucket, avec les cris des oiseaux dépeceurs, le bruit sourd de jaches)、捕鯨産業を湧きたたせた人間のエネルギーがイメージされるように、インディアンの船乗りが活躍している(En ce temps-là, tous les marins chasseurs de baleines étaient des Indiens de Nantucket)。個人の物語しか語らぬ語り手のジョン老人がかつて少年であったころ(c’est là que j’ai marché, quand j’avais huit ans)も含めて自分でも気づかぬうちに歴史上価値のある人物になっている。 
 ナンタケットの活況と表裏をなす残虐さが人間にはある。表層に現れない死の影を見ても盛況な時代は懐かしい過去である。現在と過去の対立は、「パワナ」の小説構造で重要である。双方の間を流れる郷愁の情愛は、確かに濃密である。クジラの楽園を破壊した苦渋の出来事もしばしば再生されて現在と交わり続ける(Je marche maintenant sur cette plage déserte, et je me souviens de ce que c’était)。
 回想の語り手はもう一人いる。スカモン船長である。船長の意識は、1856年のクジラの楽園の発見と破壊から物語の現在がある1911年の間をさまよい、歴史の背景と結びついている(approchant de mon terme, je me souviens de ce premier janiver de l’année)。1860年前後でアメリカの捕鯨産業は、石油開発やスチールの製造技術の進歩により衰退した。それまで灯油として使われた鯨油や服飾用だったクジラの髭は、時代遅れになっていく。現在と過去の対立は、歴史の背景と結びついていく。
 菅野(1995)によると、スカモン船長は、クレジオによる再生である。再生とは、精神的に生まれ変わることである。知覚したイメージを記憶して心で再現する人間の精神活動の一つ、表象に似ている。例えば、以前に経験した事象や学習した事柄を思い出すことは、脳が生み出す意識、感情、思考、判断のような精神活動の類である。 
 「パワナ」の購読脳は、「捕鯨と現在過去の対比」、執筆脳は、「語りの効果と再生」であり、シナジーのメタファーは、「クレジオと語りの効果」にする。「パワナ」は、クレジオの世界探索の欲求とのその方向性とが融合した純度の高い結晶である。

花村嘉英(2022)「クレジオの“Pawana”(クジラの失楽園)で執筆脳を考える」より

シナジーのメタファー3


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