リスク社会学の観点からマクロに文学を考えるー危機管理者としての作家について11


5 社会とリスク-社会学的な意義

 作家としての人間の条件に危機管理者を設定し、社会とリスクという観点に立って、シナジーのメタファーから集団の脳の活動について社会学的な意義を考察する。
 リスクと危険の違いについては、上述したように、リスクは、人間が何かを選択したときに生じる不確かな損害のことであり、危険は、損害が生じる恐れのあることである。リスク社会という概念は、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック(1944-2015)により提唱された。リスクとは、チェルノブイリ原発のような破壊的な結果をもたらし、地球温暖化による生態系の破壊もその例となり、発生する確率が低いまたは計算不能と いった特徴がある。大都会で発生する無差別テロも新しいタイプのリスクである。
 さらにベックのリスク社会論は、家族社会学の中にも一例を見ることができる。橋爪他(2016)では、産業化によって社会が自ら生み出した様々な問題に対処する必要があるため、社会それ自体がリスクになる可能性があるとし、リスク社会の到来を告げている。その結果、リスクや社会の矛盾への対処が家族の拘束力を弱め、それにより個人化が進み、未婚、晩婚、少子化、離婚などが合法化されている。
 リスク回避の計算でみると、当初は個人的な問題に影響していたものが、次第に組織やその運営に関わるということから統計で表示できるリスクになり、予測可能なできごとになっていく。ベックは、予測可能なできごとが個人レベルを越えた、承認、補償、回避のための政治的なルールに属すると指摘している。
 生活世界で安全が保たれていれば、無意識は、意識されていない状態とか、もはや意識されない状態にある潜在的な意識として理解されることが多い。しかし、生活世界の認識と言外の確実性は、関連づけて理解しなければならない。つまり、低レベルの専門知識ではなく、高度で専門的な合理性が重要となり、他の専門家が計算した結果を問題にしてもよい。但し、リスクの警告にはまらないようにすること。突如として急進的な形態になることもある。

花村嘉英(2019)「社会学の観点からマクロの文学を考察するー危機管理者としての作家について」より


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