パトリック・モディアノの「廃墟に咲く花」で執筆脳を考える2


2 作品の背景

 パトリック・モディアノ(1945-)は、「廃墟に咲く花」(1991)の中でユルバンとジゼルのT夫妻が巻き込まれた奇妙な事件から推理小説を思わせる描写を試みる。T夫妻の自殺を警察と語り手が調べる間に、関与を示す書類が見つかった50歳位のパチューコという男が現れる。しかし、事件の解決よりも意図的に時間を錯綜させ、事件の解明よりも過去の問題が脈絡もなく浮かび上がる心と記憶、つまり脳の活動を描こうとした。 
 根岸(1999)によれば、「廃墟に咲く花」の中で、事件は順番に記述されていく。しかし、語り手が記述の現在として語るときは、時間の関連がない異なる出来事が同時に脳裏に蘇る。モディアノは、確かに人間の記憶の不可解さを考慮しつつ、過去の事柄や人々が何の繋がりもなく心に浮かんでくる過程を大切にしている。そのため、複雑に入り組んだ時の流れも、平易な文体のおかげで読者の心を引き付ける。
 モディアノの父はユダヤ人であり、1940年代初頭のドイツ占領時代に何かに怯えながら生きていた。主人公が抱く後ろめたさは、おそらく闇で仕事をしていたかそうせざる負えない理由があったためであろう。このことは、主人公の夢として作品の中に描かれている。父の世界に帰らぬうちに虚無の世界から引き出してあげれば、虚無から解放すべき(Je les tire une dernière fois du néant avant qu’ils y retournent définitivement)という作者の意思表示にもなる。
 虚無から現れて唐突な消え方をする。登場人物の出し入れの話である。例えば、何もなく虚しい状態から蘇り、出てきては不意に突然消えてしまう描写である。ずぶ濡れになった侯爵が濡れたブレザーで身動きもせずに壁にもたれて立ったまま壁の中に溶けていく(Peu à peu, ce homme se fondait dans le mur)、または、画が水で滲むように雨が侯爵をかき消してしまう(bien la pluire, à force de tomber sur lui, l’effacait)。この描写は、ドイツ軍がパリを占領した時代に生きた語り手の父にも当てはまる。
 そこで「廃墟に咲く花」の購読脳は、「解き明かされぬ謎と後ろめたさ」にする。また、記憶に絡む描写から、執筆脳は、「脈絡のない心像と虚無からの解放」であり、シナジーのメタファーは、「モディアノと不可解な記憶の心像」にする。

花村嘉英(2021)「パトリック・モディアノの『廃墟に咲く花』の執筆脳」より


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