2 「潮騒」のLのストーリー
三島由紀夫(1925-1970)の「潮騒」(1954)は、三島が観察から創作した小説である。刊行される前年に三重県伊勢湾にある神島を二度訪問し、1951年から1952年にかけてかねてから関心を持っていた欧州へ北米南米経由で旅行している。大蔵省退官後本格的に創作活動に入ったため、この旅行は取材も兼ねていた。何としても生きるという思いと明るい古典主義への傾倒という二律相反する二つの意識が共存した三島にとって、幸せな一時であった。
佐伯(2014)によると、「潮騒」は、三島のギリシアへの憧れと旅行の所産、29歳という青春物を書く年ごろという条件が重ねって作られた作品である。古代ギリシアの物語から本歌取りの手法を試み、古典の素材や筋立てから自分の世界を描き、当時の日本に移し換えた。古典を意識しそれに挑戦するという試みは、三島によって意図的に仕組まれたものである。
海女たちが行商人の計らいで鮑取りの競争をし、勝利した初江は、茶色のハンドバッグを新治の母に渡し、母は素直に初江の謙譲を受け取る。初江と新治の付き合いも結婚に至るまで純潔を守り抜く。息子の嫁選びは懸命であったと新治の母が思うとともに歌島の政治の舵取りが平和に続いていく。
そこで、「潮騒」の購読脳は、「純潔と平和」にし、執筆脳は「本歌取りと挑戦」にする。「潮騒」のシナジーのメタファーは、「三島由紀夫と二律相反の共存」である。
花村嘉英(2020)「三島由紀夫の「潮騒」の執筆脳について」より