阿Q正伝
中国近代文学の父魯迅(1881-1936)は、辛亥革命(1911)を境にして新旧の革命の時代に生きた矛盾を持つ存在であった。自己を現在、過去、未来と時間化するために、古い慣習を捨ててその時その時に覚醒を求めた。文体は従容不迫(落ち着き払って慌てないという意味)で、短編が持ち場である。欧州の文芸や思想並びに夏目漱石(1867-1916)や森鴎外(1862-1922)の作品を読破した。1904年9月に仙台医学専門学校に入学して医学を学ぶ。処女作「狂人日記」(1918)は、中国近代文学史上初めて口語調で書かれた。
清朝末期の旧中国は、帝国主義の列強国に侵略されて、半封建的な社会になっていた。そのため、民衆の心には、「馬々虎々」(詐欺をも含む人間的ないい加減さ)という悪霊が無意識のうちに存在していた。魯迅は、支配者により利用され、中国民衆を苦しめた「馬々虎々」という病を嫌い、これと真っ向から戦った。そして、中国の現実社会を「人が人を食う社会」ととらえて、救済するには肉体よりも精神の改造が必要であるとした。
また、儒教を強く批判した。儒教が教える「三鋼五常」(君臣、父子、夫婦の道、仁、義、礼、知、信)は、ごまかしが巧みな支配階級を成立させてしまい、中国の支配層の道具立てになっていた。時代の背景では五四運動がある。1919年5月4日、第一次世界大戦のパリ講和条約で旧ドイツ租借地の山東省の権益が日本により継承されることになったのを受けて、天安門で北京大学の学生が反日デモを繰り返した。
この五四運動は、1921年の中国共産党成立にも影響があることから、政治的にも文化的にも影響が大きかった。魯迅は弟周作人とともに新文化運動の前線に立ち、辛亥革命の不徹底を批判しつつ、反帝国主義、反封建主義の立場を堅持した。また、魯迅は自らを阿Qに託して、阿Qや周囲の人々が銃殺される罪人を陶酔しながら喝采する精神の持ち主だと評した。(郑择魁:1978)
花村嘉英(2015)「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む」より