作家が試みるリスク回避について-魯迅、森鴎外、トーマス・マン7


 スノーは、中国の工業化を客観的に評価している。確かに工業国といわれる米国や英国そして欧州の大部分及びソ連に比べればそれほどでもない。しかし、ソ連が二度の世界大戦により停滞したことに比べれば、中国の工業化はソ連の半分の時間で達成された。これは中国と西欧との違いといえる。しかし、文理のバランスは中国の場合も然りである。専門性を謳う縦の伝統の技が日本と同様一番重要な目安だからである。
 4年後にスノーはその後の考察を発表する。科学者と人文の知識人はコミュニケーションが足りないため、共感はなくその代わりに敵意があるという。そこで対峙からの脱却には教育のみならず、貧富の格差を是正する必要があるとした。労働組合、集団販売、近代工業化の施設、これらは特権階級の人間には思いもつかないことであり、貧窮の経験者が絶望から脱するきっかけになった。
 ロシアを代表する作家ドフトエフスキー(1821-1881)は、自身が身を置いた社会について隠すことなく独自の見解を述べている。ユダヤを嫌い、戦争を願い、奴隷は拘束するとの立場で独裁者を支持し、人間の成長の糧として苦難を愛した。苦難だけが自分を高めることができるという理由からである。こうした強い主張にも関わらず、ドフトエフスキーは決して孤立しなかった。彼の主張の中には現代にも通じる教育論が見えるからである。

花村嘉英(2014)「20世紀前半に見る東西の危機感」より

シナジーのメタファー4


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