作家が試みるリスク回避について-魯迅、森鴎外、トーマス・マン3



 狂人はなぜ狂気に陥ったのであろうか。狂人の発病時期を察すると、30年ぶりにきれいな月を見たという書き出しのため、相当の年月が経っていると考えられる。20年前に古久先生の古い出納簿を踏んでいやな顔をされた中学生の頃には、症状が周囲からも見て取れた。上記の通り、魯迅は日本で個人を重視する近代ヨーロッパの精神を学んでいる。この精神は、魯迅にとって儒教を拠り所とする封建的な物の考え方とは全く異なる革命的な思想であった。そのため、これを狂人が狂気に陥った一要因とするのはどうであろうか。
 覚醒の時期についても諸説がある。(大石 1996)例えば、 
一 歴史書を紐解いて食人を発見した場面。
二 また一つは、妹の肉を食う場面。つまり、家族が食人の世界とつながり、自分もその中にいることを発見した場面。
三 そして、「子供を救え」と訴える中国人民の再生を望む場面。
 これらが当時の中国社会を反映した危機感の現われと考えても飛躍は見られない。魯迅が掲げた「馬々虎々」に対する解決策とは、こうした思いを作品に反映しつつ、一線(門)を越えて本当の人間になることである。
 食人についてもいくつかの見方がある。(大石 1996)例えば、
一 シンボル説では食人が人肉食ではなく、封建社会における人間性破壊の象徴であり、二 歴史説では中国の歴史の中で食人行為があったという見方を取る。
三 また、現実説では食人行為が歴史に見られるだけでなく、現在も続いているとする。
 ここでは最後の現実説に寄せていく。人を食べて自分を調節している人間は、中国にも日本にも実在している。政治的にも文化的にも影響が大きかった五四運動を契機にして、魯迅は弟周作人とともに新文化運動の前線に立つ。辛亥革命の不徹底を批判することで、反帝国・反封建の立場を守りたかったからである。(花村 2013)

花村嘉英(2014)「20世紀前半に見る東西の危機感」より

シナジーのメタファー4


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