2 中国の危機感
当時の中国を代表する知識人といえる魯迅が見た人民の危機とは、「馬々虎々」(詐欺も含む人間的ないい加減さ)と呼ばれる精神病である。魯迅は日本留学中の1904年9月に仙台医学専門学校に入学して医学を学ぶ。その傍ら、欧州の文芸や思想並びに漱石や鴎外の作品を読破する。しかし、授業中に日露戦争の記録映画を見ていて、スパイ活動を理由に中国人が処刑される場面に遭遇した。1906年3月に仙台医専を退学し、友人からも小説を執筆するように勧められ、魯迅は医学から文学へと方向を転換する。被害妄想を患っていた主人公が書いたとされる「狂人日記」(1918)は、中国近代文学史上初めて口語体で書かれた。
魯迅は当時の中国社会を人が人を食う社会と捉えて、救済するには肉体以上に精神を改造する必要があるとした。中国の支配者層が食人的封建社会を成立させるために儒教の教えを利用したからである。儒教の教えは結局虚偽にすぎず、「狂人日記」の中に登場する礼教食人を生み出した。そのため魯迅は生涯に渡って「馬々虎々」という悪霊と戦っていく。この悪霊を制圧しない限り、中国の再生はありえないという信念があったからである。
狂人については、中国と日本で見方に違いがある。中国での見方は次の三つである。(大石 1996)
一 主人公の狂気は見せかけであり、反封建の戦士というもの。
二 主人公の狂気は反封建の戦士ではなく、反封建思想を託されたシンボルというもの。
三 主人公の狂気は迫害にあって発生した反封建の戦士というもの。
一方、日本での見方は、主人公の狂気がすでに覚醒しているというものである。私も狂人の狂気は覚醒しているという立場に立って、狂人の中国人民への説得を認知プロセスと関連づけて考えている。つまり、人間が野蛮だったころは人を食いもした。しかし、よくなろうとして人間を食わなくなったものは本当の人間になった。こうした努力こそが大切であるとした魯迅の思いは、リスク回避による意思決定ともいえる。(花村 2013)
花村嘉英(2014)「20世紀前半に見る東西の危機感」より