シナジーのメタファーの作り方3


2.2 Lのフォーマットで文学を比較する

 パイロットとか救急医療または株式市場の現場で働くエキスパートと同様に、作家もリスク回避をテーマにして作品を書くことがある。例えば、トーマス・マンは、20世紀の前半にドイツの発展が止まることを危惧して小説や論文を書き、魯迅は、作家として馬虎(詐欺をも含む人間的ないい加減さ)という精神的な病から中国人民を救済するために小説を書いている。また、鴎外は、明治天皇や乃木大将が亡くなってから、後世に普遍性を残すために歴史小説を書いた。  
 トーマス・マンの文体は、イロニーである。「魔の山」(1924)に限らず、マンは、散文の条件として常に現実から距離を取る。現実を正確に考察しながら、一方で批判するためである。このイロニー的な距離は、正確に記述しようとしても、言語媒体そのもの特徴からあるところで制限される。また、ロトフィ・ザデーのファジィ理論は、システムが複雑になると、振舞について正確ではっきりとした説明ができなくなることを主張する。つまり、両者共に物事を深く突き止めて行ってもそこには限界があり、深追いしないと逆に良い結果が得られることを論じている。(花村2005:113)そこで、「魔の山」の購読脳を「イロニーとファジィ」とし、そこから「ファジィとニューラル」という組に向かい、マンの執筆脳であるファジィを引き出した。

花村嘉英(2018) 「シナジーのメタファーの作り方について」より

シナジーのメタファー1


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