Anfangen、beginnen、aufhörenにおける様相因子の動きから生まれる文の曖昧性-モンタギュー文法による形式意味論からの考察1


0 はじめに

 数学的で厳密な理論的枠組みに基づき、人工言語も含めた言語の統語論と意味論を規則化したモンタギューの文法理論が自然言語の文に見る曖昧性をどの程度定義できるのか考察していく。即ち、これまでにモンタギュー文法の視点から、de-re/de-dito読み、文修飾の副詞、時制、限量子等の曖昧性に関しては指摘があるも、本稿のテーマの一つである様相因子の動きにより生じる曖昧性については指摘がない。“Das Mädchen fängt an zu weinen.”は、様相因子が主語内的ならば、意図的な読みに、主語外的ならば、あるプロセスの始まりになろう。 
 筆者自身の研究の流れを考えた場合、卒業論文で題材としたヴァイスゲルバーの母国語の世界像よりもさらに深層にある論理的な側面を追求するため、モンタギューによる形式意味論を考察していく。確かにモンターギュを契機とした今日の形式意味論は、当初のものとはかなり形を変えており(例えば、状況意味論)、例えば、可能世界という概念に対する多方面からの批判を踏まえ理論も修正されている。
 しかし、現在においてもモンタギュー自身の文法理論に対する批判があることを考えれば、今一度考察の対象にする価値はある。ましてや批判の中には誤解から生じたものも見受けられる。例えば、Martin(1975)には、モンタギューの文法理論は、自然言語とメタ言語の区別も深層と表層の区別もなされていないと記述がある。しかし、双方の言語間の違いは既成の事実であり、このことと方法論上一般的な視点から双方の言語の規定を目指したモンタギューの試みが別の問題であることや論理学の考察が概して深層にある一方、PTQでは、その対象が比較的表層にあることを見落としている。
 そこで、第一章では、Löbner(1976)に従って、Montague(1974a、1974b)の理論的枠組みを概略しつつ、そのドイツ語への適用を示すことにする。第二章は、実際に対象とする言語現象の説明である。即ち、zu不定詞句を下位構造とする様相動詞のうち、anfangen、beginnen、aufhörenには統語論上、意味論上の特性があることを示唆し、様相因子の問題を取り上げる。第三章は、上記三つの動詞からなる文章をモンタギューの文法理論にあてはめることにより、様相因子の動きによる曖昧性が規定されるかどうか検討していく。
 但し、本稿では、対象とする自然言語がドイツ語ゆえに参考書としてLöbner(1976)を選択した。しかし、他にも優れた手引きがあるため、以下に列挙する。坂井(1979)、内田(1979)、長尾・淵(1983)、白井(1985)、Thomason(1974)、Benett(1976)、Cooper(1976)、Partee(1975、1976)。
 なお、本稿は、1987年1月、立教大学大学院文学研究科博士前期課程ドイツ文学専攻修了時に提出した修士論文を修正したものである。

花村嘉英(2020)「Anfangen、beginnen、aufhörenにおける様相因子の動きから生まれる文の曖昧性-モンタギュー文法による形式意味論からの考察」より

シナジーのメタファー1


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