魯迅とカオスー阿Q正伝の世界 

 中国近代文学の父魯迅(本名周樹人:1881-1936年)は、辛亥革命(1911年)を境にして新旧の革命の時代に生きた矛盾をもつ存在である。自己を現在、過去、未来と時間化するために、古い慣習を捨ててその時その時に覚醒を求めた。文体は従容不迫(悠揚せまらぬという意味)で、持ち場は短編である。欧州の文芸や思想並びに漱石、鴎外の作品を読破した。1902年に仙台の東北大学で医学を学ぶ。処女作「狂人日記」(1918)は、中国近代文学史上初めて口語調で書かれた。
 清朝末期の旧中国は、帝国主義の列強国に侵略されて、半封建的な社会となっていた。そのため、民衆の心には、「馬々虎々」(詐欺も含む人間的ないい加減さ)という悪霊が無意識のうちに存在した。魯迅は、支配者により利用されて、中国民衆を苦しめた「馬々虎々」という病を嫌い、これと真っ向から戦った(片山智行:1996、16)。そして、中国の現実社会を「人が人を食う社会」と捉えて、救済するには、肉体よりも精神の改造が必要とした。また、儒教を強く批判した。儒教が教える「三鋼五常」(君臣、父子、夫婦の道、人、義、礼、知、信)は、ごまかしが巧みな支配階級を成立させてしまい、中国の支配層の道具立てとなっていた(片山智行:1996、8)。

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